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エジプト民族(エジプトみんぞく)とは現在のエジプトの主流派を占める民族である。古代エジプト人と主にアラブ民族の流入を経て形成された民族である。ギリシャ民族系やトルコ民族系のエジプト人も認められる。 ==歴史== :''詳細は古代エジプト、エジプトの歴史を参照'' エジプト民族は6000年にも及ぶ歴史を誇っている。エジプト文明はナイルの恵みを受けて発展し、強大な王権が形成された。ピラミッド、スフィンクス、ヒエログリフなどの文化遺産はこの時期に形成されたものである。 紀元前1000年頃からは王権が衰退し、エジプトはアッシリアなどの異民族の侵略と支配を経験することとなった。アッシリアの統治の後に一時的に独立を回復するが、ペルシア王カンビュセスの軍勢の前に敗北し、再びその属領となる。 アレクサンドロス大王の遠征によりマケドニア系プトレマイオス王朝が成立した。プトレマイオス朝の君主達はエジプト古来の文化・習俗を維持し、支配層のギリシャ文化とは隔たりがあった。この時代にはアレキサンドリアに大図書館が建設され、学問の地として以前と変わらず繁栄した。 その後エジプトはオクタビアヌスの征服に依りローマ帝国の属州となり、ラテン化が進められた。しかしエジプトでのラテン化は限定的なものに終わった。やがてローマ帝国が分裂し、東ローマ帝国が成立するとギリシャ文化・ギリシャ語が支配層の文化となった。現在まで続く中世エジプト語であるコプト語は東ローマ帝国統治時代に形成された。 7世紀にはイスラム帝国の征服を受け、以後ウマイヤ・アッパース・ファティーマ・アイユーブ・マムルークとイスラム王朝がエジプトを統治する。エジプト民族にアラブ民族やトルコ民族の血が流入し、言語的にはアラビア語への移行が進んでいった。16世紀にはオスマン帝国に征服された。 18世紀末にフランスのナポレオンの遠征に依りオスマン帝国の支配が動揺すると、それを突いてアルバニア人のムハンマド・アリーが政権を握り、オスマン帝国への形式的服属を続けつつ近代化を進めた。しかしイギリスの政治工作と軍事力の前に破れ、19世紀末にはエジプトはイギリスの保護国(実質的な植民地)となった。第一次世界大戦後の1922年にエジプトは独立したが、その後もイギリスの影響力は残存した。 第二次大戦後にはイギリスの影響力の残存やパレスチナにおけるイスラエルとの戦争の敗北などにより反政府組織が活発化し、遂には1952年、自由将校団によるエジプト革命が勃発してムハンマド・アリー朝は崩壊した。1953年に共和制へと移行し、エジプト共和国が成立した。アンワル・アッ=サーダートののちホスニー・ムバーラクが大統領として長期政権を担ったものの、国民の独裁への反発による抗議運動の激化で2011年2月に辞任し、混乱が続いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エジプト民族」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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