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エジプト第18王朝(紀元前1570年頃 - 紀元前1293年頃)は新王国時代最初の古代エジプト王朝。政権としては第2中間期のテーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール〔紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。〕)政権である第17王朝と完全に連続した政権であるが、エジプト統一を成し遂げたイアフメス1世以降は第18王朝とするのが慣例となっている。エジプトの再統一による国力増大によって数々の大規模建築が残され、ヌビア、シリア地方に勢力を拡大し、オリエント世界に覇を唱えた。 「古代エジプトのナポレオン」と称されたトトメス3世、世界初の一神教ともいわれるアテン神信仰を追求したアメンヘテプ4世(アクエンアテン)、黄金のマスクによって知られるトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)、女性としては初めてエジプトに実質的な支配権を確立したハトシェプスト、など、古代エジプトの代表的な王が数多くこの王朝に属している。王朝後半には王統が断絶したと考えられているが、最後の王ホルエムヘブはその混乱を克服し、宰相ラムセス1世を後継者に指名した。彼が第19王朝を開き、新王国の繁栄はなおも継承された。 == 歴史 == === エジプト統一 === 第2中間期にテーベを中心に支配権を持っていた第17王朝は、下エジプト(ナイル川三角州地帯)東部を拠点とした第15王朝(ヒクソス)の覇権の下にあった。やがてセケンエンラー王の時代に対ヒクソスの軍事行動を開始し、息子のカーメス、イアフメス1世と三代にわたる戦いの結果、第15王朝の根拠地アヴァリスを制圧して全エジプトを統一した。このエジプト統一という事件を重要視し、マネトはイアフメス1世以降の王を第18王朝としており、現代の学者達の区分もこれに従っている。 ''ヒクソスや、彼らに関係した戦いについては、ヒクソス、エジプト第15王朝、エジプト第17王朝を参照'' イアフメス1世はヒクソス勢力にとどめを指すべく、ヒクソスのパレスチナ地域における拠点であったシャルヘンを攻略するためのパレスチナ遠征を治世第11年から開始した。3年にもわたる包囲戦の末シャルヘンを陥落させ、ここにヒクソス勢力は完全に放逐されるに至った。そしてヒクソス(第15王朝)のアペピ王の娘ヘルタを妃として迎え、これによってヒクソスがシリア地方に持っていた統治権を継承したと主張した。こうしてパレスチナ地域の支配権を確立した後、イアフメス1世は矛先をヒクソスの同盟国であったヌビアに向け、ナイル川第二瀑布付近までを征服した。以後ヌビアは、「南の異国の王子」という称号を持つ総督によってエジプトの直接支配の下に置かれることになる。こうして南北で国境を固めた後、イアフメス1世は中央集権を確立すべく内政の充実に力を注ぎ、官職の売買などを禁止して人事権の掌握に努めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エジプト第18王朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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