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エジプト第2王朝(エジプトだい2おうちょう、紀元前2890年頃? - 紀元前2686年?)は、エジプト初期王朝時代の古代エジプト王朝。 == 歴史 == エジプト第2王朝は、先行するエジプト第1王朝よりも記録史料が乏しく、通史的な歴史は現在の所復元されていない。マネト〔紀元前3世紀のエジプトの歴史家。彼はエジプト人であったが、ギリシア系王朝プトレマイオス朝に仕えたためギリシア語で著作を行った。〕の記録によれば、第2王朝には9人の王がいた。しかしマネトの記す王名は、わずかに知られている同時代史料に登場する王名と一致しない。 マネトによればエジプト第2王朝の歴代王は以下の9人である。 *ポエトス(彼の時代にブバスティスで地割れが起こり多数の死者が出た) *カイエコス(彼の時代に雄牛(アピスとムネヴィス)とメンデスの山羊が神として崇拝された。) *ピノトリス(彼の時代に女性も王位に上れることが定められた。) *トラス *セテネス *カイレス *ネフェルケレス *セソクリス *ケネレス 一方現代の学者達が諸史料から進めている王統の復元では、以下のようになる。治世年については未だ定説はない。 *ヘテプセケムイ(在位43年間) *ラネブ(またはネブラ 在位39年間) *ニネチェル(在位47年間) *ウェネグ(在位8年間) *セネド(在位20年間) *セト・ペルイブセン(セケムイブ)(在位17年間) *セケミビ・ペレンマート(セト・ペルイブセンと同一人物説もある) *カーセケム(後にカーセケムイと改名、在位30年間) 第2王朝では第1王朝時代から引き続いて王権強化が目指されたと言われている。その首都はティニスであった。ニネチェル王の治世には家畜調査などが繰り返されたことがわかっており、領内への統制を強めようとする王権の動きを見ることができる。一方で旧来の上エジプト(ナイル上流)の有力者達はこういった動きに反発し、第6代のペルイブセンの治世には何らかの混乱があったといわれている。これらを伺わせる根拠はペルイブセンの治世に、王名であるホルス名〔王がホルス神の化身であり正当な王位継承者である事を示す。隼の図の下に置かれたセレクと呼ばれる枠の中に表記された。〕がセト名〔王がセト神の化身である事を示す。セトを表す動物の図の下で、やはりセレクに囲まれて表記された〕に切り替えられている点である。これはホルス神からセト神に王権守護神が変更されたことを示す。これは古い上エジプトの勢力が、自分たちの第一人者でしか無かった王の権力が次第に高まっていく事を嫌って、ペルイブセン王を擁立した事の痕跡であるという説がある〔この争いを、上エジプト内部の有力者の争いとする見解とは別に、ホルス信仰の強い上エジプトとセト信仰の強い下エジプトの間での社会対立を背景に持つとする説もある。また、このホルス派とセト派の争いが、後代のエジプト神話に見られるホルス神とセト神の争いの神話に影響を与えているとする見解もある。〕。 しかし、セト名の復活は一時的な物であり、カーセケム王の時代にはホルス名が復活した。カーセケムはセト派との妥協のため、一時的にホルス・セト名を用い、カーセケムイと改名もしたが、以降エジプトではホルス名が確立する。これは王権理念が一つの完成を見たことを意味するといわれる。 紀元前27世紀初頭頃にエジプトの支配権はエジプト第3王朝へと移ったといわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エジプト第2王朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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