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エジプト第1中間期(紀元前2180年頃 - 紀元前2040年頃)は、古代エジプト史における時代区分。通常第6王朝の崩壊から第11王朝による再統一までの時代を指す。長期間にわたって安定した統治を続けていた古王国の崩壊とその後の戦乱によって社会的、思想的、政治的に大きな変化を齎した。 == 概観 == メンフィスを中心としたエジプト古王国の統一権力は第6王朝の王ペピ2世の治世末期に急速に弱体化し、各地の州(ノモス〔古代エジプト語ではセバトと呼ばれたが、ギリシア語に由来するノモスの表記が慣習的に広く普及している。〕)を統治した州侯達の自立傾向が高まった。メンフィスの政権は第7、第8王朝の下でなお存続し、統一政権の王としての権威も一応は保たれたが、地方の強大化の傾向は更に続いた。メンフィス政権の歴代王名やその治績についてはっきり分かっている事は極めて少ない。若干の学者は第6王朝以前の王朝と第7、第8王朝の連続性を重視し、この両王朝を古王国に分類している。これらの王朝の崩壊とともにメンフィスの政権の命運は尽きた。 やがて上エジプト第20県〔以下に登場する上エジプトの県についての大まかな位置についてはこちらを参照。〕の(古代エジプト語:〔後の「ヘラクレオポリス」という名は、この都市で祭られていた地方神ヘリシェフをギリシア人がハルサフェスと呼び、名前の類似等からヘラクレスと同一視したことによって付けられたギリシア語名である。〕)に興った第9、第10王朝と、上エジプト第8県のテーベ(古代エジプト語:ネウト〔マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。〕、現在のルクソール)を拠点とした第11王朝の南北対立の情勢となった。ヘラクレオポリスとテーベの政権による戦いは1世紀余りにわたって続き、一進一退を続けたが、僅かな記録からヘラクレオポリスの第9、第10王朝はテーベの第11王朝に比較して政権がやや不安定であったことが伺われる。両政権は対立を続けながら周辺地帯への統治力回復にも力を注ぎ、ヘラクレオポリスの政権は第10王朝のケティ3世の時最盛期を迎え下エジプト(ナイル川デルタ地帯)に侵入していたアジア人と戦ってこれを服属させた。一方テーベの政権は南のヌビア地方に進出していた。 やがて第11王朝にメンチュヘテプ2世が立つと、第11王朝の軍勢は第10王朝の首都ヘラクレオポリスを陥落させ、再びエジプトを統一した。これ以降を中王国時代と呼ぶ。これによってエジプトの政治的中心はメンフィスから新たにテーベへと移ったのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エジプト第1中間期」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 First Intermediate Period of Egypt 」があります。 スポンサード リンク
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