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エスク (HMS Esk, H15) は、1934年進水のイギリス海軍の駆逐艦。E級。 ==艦歴== 1931年の海軍計画で、1932年11月1日にウォールセンドのスワン・ハンター&ウィガム・リチャードソン社に発注。1933年3月24日起工。1934年3月19日進水。1934年9月28日に就役し、兵装などの政府が供給するものを除いた建造費用は24万7279ポンドであった〔English, pp. 63–64〕。1935年1月から3月に行われた本国艦隊の西インド洋諸島への巡航に同行。アビシニア危機の際、1935年9月から1936年3月までエスクは地中海艦隊に所属した。スペイン内戦時は不干渉委員会の布告を実施するため1939年3月までスペイン海域を巡回し、それからイギリスに戻った。ミュンヘン危機の際は、エスクと同型艦のエクスプレスは一時的にノアの第9駆逐群に配属され、1938年10月3日に機雷敷設訓練を行った。1939年6月24日にエスクは予備役となり、8月2日まで再就役しなかった。エスクは15日に予備艦隊の艦観式に参列し、8月28日から機雷敷設艦への改装工事が開始された〔English, p. 72〕。 改装は1939年9月7日に完了し〔、翌日エスクは第20駆逐群に配属された〔。9月9日、10日夜、エクスと駆逐艦エクスプレスはヘルゴラントバイトに機雷を敷設した〔Rohwer, p. 4〕。9月23日から26日までエスクは戦艦ロイヤル・サブリンをスカパ・フローからポーツマスまで護衛し、12月中はミルフォード・ヘイヴンやポーツマスから機雷敷設作戦を実行した〔。12月17、18日、エスク、エクスプレス、イントレピッド、アイヴァンホーはエムス川河口沖に機雷240発を敷設した〔Rohwer, p. 12〕。12月29日から1940年1月26日までポーツマスで修理を実施〔。 修理完了後、6ヶ月間エスクは機雷敷設を行う特設機雷敷設艦プリンセス・ヴィクトリアおよびテヴェット・バンクの護衛や、エスク自身での機雷敷設作戦に従事した〔。3月3日、エスク、エクスプレス、イカルス、インパルシヴはヘルゴラントバイト内のホーンズリーフ近くに機雷を敷設し、この機雷で3月13日ごろにドイツ潜水艦U-44が沈没した〔Rohwer, p. 16〕。4月はじめにエスクはスカパ・フローの本国艦隊に配属され、ウィルフレッド作戦(ノルウェー沿岸への機雷敷設)のため第20駆逐群の艦とともにWV部隊に配置された。4月5日、WV部隊は第2駆逐群の駆逐艦ハーディ、ハヴォック、ホットスパー、ハンターに護衛されてスカパ・フローから出撃した。第20駆逐群の艦は4月8日朝にヴェストフィヨルドに234発の機雷を敷設し、それから巡洋戦艦レナウンと合流した。15日、エスクは戦艦ロドニーを護衛してスカパ・フローに帰投した〔Haar, pp. 65, 87, 308, 372〕。 5月10日にエスク、エクスプレス、イントレピッド、プリンセス・ヴィクトリアは北ホラント州Bergen沖に236発の機雷を敷設し、5月15日にはエスク、エクスプレス、アイヴァンホーはHook of Holland沖に機雷164発を敷設した。この機雷原で7月26日にドイツの掃海艇M61、M89、M136が沈んだ〔Rohwer, p. 23〕。5月29日、エクスはダンケルクからの撤退作戦に加わる。5月29日から6月3日までにエスクは3904名を脱出させ、その中には空襲で沈没した船Scotiaから救助した1000人以上のフランス兵が含まれる。この最中に生じた軽微な損傷を修理後、エスクは以前と同じ任務に戻った〔。 1940年8月31日、エスクは駆逐艦イントレピッド、イカルス、アイヴァンホー、エクスプレスとともにテセル島北のオランダ沿岸への機雷敷設に向かった。その夜、新たに敷設されたドイツの機雷原でエクスプレスが触雷し、艦首が吹き飛んだ。さらに救援のためエクスプレスに接近したエスクも触雷。約15分後にも艦中央部で再び爆発があり、エスクは分断されてすぐに沈没した。沈没地点は北緯53度26分36秒東経3度48分0秒であった。アイヴァンホーが幾人かの生存者を救助したが、乗員127名が死亡した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エスク (駆逐艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 HMS Esk (H15) 」があります。 スポンサード リンク
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