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エスタディオ・マテオ・フローレス : ミニ英和和英辞書
エスタディオ・マテオ・フローレス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エスタディオ・マテオ・フローレス : ウィキペディア日本語版
エスタディオ・マテオ・フローレス[ちょうおん]

エスタディオ・ナショナル・マテオ・フローレス()は、グアテマラの首都グアテマラシティにある国内最大の多目的スタジアムであり、グアテマラの国立競技場である。
== 概要 ==
1950年にグアテマラで開催された中央アメリカ・カリブ海競技大会に向けて建設された〔EL COLOSO DE LA ZONA 5 nuestrodiario.com、2012年5月25日閲覧。〕。以前は「エスタディオ・オリンピコ (Estadio Olímpico)」や「エスタディオ・デ・ラ・レボルシオン (Estadio de la Revolución)」と呼ばれていた。収容人数は29,950人〔worldstadiums.com 〕。現在のスタジアム名は、1952年にボストンマラソンで中米人として初の優勝を成し遂げたグアテマラの英雄(ドロテオ・フローレスと呼ばれることもある)に由来している。1996年には、83人が押しつぶされて窒息死する事故が起きている。
主にサッカーの試合に用いられ、リーガ・ナシオナル・グアテマラに所属するCSDムニシパルがホームスタジアムとして使用している他、サッカーグアテマラ代表がホームスタジアムとして利用している。
1998 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選において、1996年10月16日にサッカーグアテマラ代表対コスタリカ代表の試合がこのスタジアムで開催された。試合を見ようと偽造した入場券で入場したファンが多数いたため、スタジアムの収容量を超え、入場した観客が押しだされる形で人垣の雪崩がおき、前方に座っていた83人が窒息死、140人が負傷する大事故が発生した。当時のグアテマラ大統領は即座に試合を中止、FIFAはスタジアムの安全性が保証されるまで2年間のスタジアム使用禁止を科した〔Con la tragedia en la memoria laprensa.com.sv、2012年5月26日閲覧。〕。事故後の分析によると、当時スタジアムの通常収容人数は37,500人、最大収容人数は47,500人であり、入場券は45,796枚発売されていたが、実際には50,000人を超える観客が入場したと考えられている。事故によるFIFAの制裁の後、2000年代にスタジアムの収容人数が30,000人にまで減らされることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エスタディオ・マテオ・フローレス」の詳細全文を読む




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