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エストニア共和国(エストニアきょうわこく、)、通称エストニア( IPA:)は、北ヨーロッパの共和制国家。EUそしてNATOの加盟国、通貨はユーロ、人口134万人〔沖縄県約143万人、福岡市約153万人の人口に近い。〕、首都はタリン。 フィンランド、ロシアと共に、フィンランド湾に面する3つの国の一つである。湾をはさみフィンランドから約90km南に位置する〔フィンランド湾、北岸のフィンランド首都ヘルシンキ、南岸のエストニア首都タリン、首都間の距離は85km。次の地理参照、駐日エストニア共和国大使館HP 。〕。また、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も北の国である。国土は、北はフィンランド湾、西はバルト海に面する。南はラトビア、東はロシアと国境を接する。面積は九州本島の1.23倍〔エストニアの面積45,226km²、九州本島の面積36,749.82km² (九州の面積42,194.75km²から屋久島・種子島・奄美大島・五島列島など離島除く)。〕。地形は平坦で最高標高318m〔国土の最高標高318mの地点は、タリンから南東に約250km、ロシアとラトビアとの国境近くの「スールムナマギ」(大きな卵の丘)。位置、次の「地形図」参照 スールムナマギ〕。国連の分類では北ヨーロッパの国である〔国際連合統計局の分類より。 および次の「Northern Europe」参照 2011年2月17日. 2011年4月2日閲覧。 日本の外務省欧州局は西欧課が担当する。外務省欧州局 2011年4月2日閲覧。〕。 中世ハンザ都市として栄えた港湾都市でもある首都タリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つである。特に85km北に位置する対岸のヘルシンキとの往来が活発である〔タリン市観光局公式HP 、フィンランド・スウエーデン等との定期航路図 、ヘルシンキとは1日7便(85km 所要時間最短で90分)、バルト海西岸のストックホルム(スウェーデン)とは1日1便(375km 所要時間15時間)等、2013年度。距離は次の「地理」による。駐日エストニア共和国大使館HP 。〕。 報道の自由度ランキングの上位国であり〔国境なき記者団が毎年発表する。政府による報道への規制等を国別に数値化し、自由度の高い順にランキング化したもの。エストニアは、2007年と2012年が第3位、2014年第11位。日本は、2014年第59位で、2011年第11位が過去最高である。〕、公用語はエストニア語。複数の言語を話せる国民が多い〔駐日エストニア共和国大使館HPより、言語:「フィンランド語のほかに、英語、ロシア語、ドイツ語を話せる、あるいは、理解する人が多い」 (参考)エストニア、2013年度「英語能力指数(EF EPI) 」で世界第4位 。〕。また、Skype(スカイプ)を産んだ国であり、外国のIT企業の進出も多くソフトウエア開発が盛んである〔独立行政法人 労働政策研究・研修機構、海外労働情報・国別労働トピック 〕。早期のIT教育〔小学1年生からプログラミング授業 WIRED news 2012.9.7〕や国際学力調査で欧州の上位国としても知られる〔OECD加盟国の生徒の学習到達度調査(PISA) 『~2012年調査国際結果の要約~』 P10表1より、ヨーロッパで、「科学リテラシー」がフィンランドに次ぐ第2位(OECD全体で6位)、「読解力」が第4位(全体で11位)、「数学的リテラシー」が第4位(全体で11位)。〕。 13世紀以降、デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国などの支配を経て、第一次大戦後1918年ロシア帝国より独立。第二次大戦中1940年ソビエト連邦が占領、翌1941年独ソ戦でナチス・ドイツが占領、1944年ソビエト連邦が再占領し併合。1991年同連邦より独立を回復、2004年EU・NATOに加盟、2008年NATOのサイバーテロ防衛機関の本部所在国となる〔機関名「NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence 」、日本の外務省による訳語「NATOサイバー防衛協力センター」、参照:外務省サイト エストニアの外交・国防⇒ 3.国防⇒ (3)その他、より〕。 == 国名 == 正式名称はエストニア語で、()。略称 。 日本語表記は、エストニア共和国。通称エストニア。漢字表記は愛沙尼亜(愛沙尼亞)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エストニア」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Estonia 」があります。 スポンサード リンク
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