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民族誌(みんぞくし、)は、フィールドワークに基づいて人間社会の現象の質的説明を表現する記述の一種。民族誌学・エスノグラフィーとも。英語のエスノグラフィー(ethnography)は、ギリシア語のethnos=国民・民族と、graphein=記述に由来する。 民族誌は、あるシステムの様々な特性は、お互いに関係があり、単独では必ずしも正確に理解できないという考えに基づいた総合的な調査の結果である。 このジャンルは、形式と歴史において旅行記及び植民地政府の報告書の系譜を引く。いくつかの学問の伝統、特に構造主義と相対論的パラダイムにおいては、有効な研究方法として民族誌的な研究が要求される。 == 文化人類学および社会人類学 == 文化人類学および社会人類学は民族誌の周辺で発展してきた。例えばブロニスロウ・マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』、エドワード・エヴァンズ=プリチャードの『ヌアー族』、マーガレット・ミードの『サモアの思春期』、グレゴリー・ベイトソンの『ナヴェン』といった文化人類学の規範的なテキストは、大部分が民族誌である。文化・社会人類学者は今日でも、実際に民族誌的調査を行うことに非常に高い価値をおいている。 文化人類学の中には、民族誌の下位ジャンルがいくつかある。1950年代末から1960年代初頭にかけて、人類学者は民族誌的調査の性質を自覚的に晒した「告白的な」民族誌を記し始めた。有名な例にはクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』、ケネス・リードの『The High Valley』、デイビッド・メイバリー=ルイスの『The Savage and the Innocent』、ややフィクション化されたエレノア・スミス・ブラウン(ローラ・ボーエン)の『Return to Laughter』などがある。後の「反射的な」民族誌においては、民族誌家は、自分が受け止めた文化の相違を記述することで、文化の相違を翻訳するための技術を洗練させた。有名な例としてポール・ラビノー『異文化の理解』、ジャン=ポール・デュモン『The Headman and I』、そしてヴィンセント・クラパンザーノ『精霊と結婚した男』がある。 1980年代には、文学理論とポストコロニアル/ポスト構造主義の考え方の広範な影響のもと、民族誌のレトリックは学問領域の内部において厳しい精査を受けた。「実験的」民族誌は、文化人類学の動揺を露わにした。これには、マイケル・タウシグ『Shamanism, Colonialism, and the Wild Man』、マイケル・MJ・フィッシャー、メフディ・アベディ『Debating Muslims』、キャサリン・スチュアート『A Space on the Side of the Road』、キム・フォータン『Advocacy after Bhopal』が含まれる。 クリフォード・ギアツのように、人類学者はフィールドワークに基づいた民族誌を通して文化の多様性を研究し、解釈する。それは、特定の文化、社会もしくは共同体の詳細な報告を提供する。フィールドワークではたいてい1年以上どこかの社会に入り込み、地元の人間と暮らし、彼らの生活様式を学ぶことが必要である。民族誌家は、参与観察者である。彼らは、研究対象である事象に参加することで、その地域特有の振る舞いや思考を理解する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「民族誌」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ethnography 」があります。 スポンサード リンク
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