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エスペロ船団の戦い (Battle of the Espero Convoy) とは、第二次世界大戦中に地中海で生起した海戦の一つである。1940年6月28日に、北アフリカへの輸送任務についていたイタリア海軍の駆逐艦3隻と、船団護衛のため出撃したイギリス海軍およびオーストラリア海軍の巡洋艦5隻が交戦し、イタリア側が駆逐艦1隻を失った。 ==背景== イタリア軍は予期されるイギリス軍のキレナイカ侵攻に備えるため、トブルクへの対戦車部隊の配備を決めた。その輸送には駆逐艦エスペロ(旗艦)、ゼフィーロ、オストロの3隻があたることとなった。3隻は対戦車砲10門、弾薬120トンと兵員162名を乗せてタラントからトブルクへと向かった。この部隊はエンリコ・バローニ (Enrico Baroni) 大佐が指揮した。 一方、この時イギリス軍の船団護衛作戦(MA3作戦)も開始されていた。これはアレクサンドリアへ向かう、マルタからの船団2つとギリシャからの船団1つを護衛するというものであった。その護衛部隊の一つとして6月27日にアレクサンドリアから第7巡洋艦戦隊(軽巡洋艦リヴァプール、オライオン、シドニー、グロスター、ネプチューン)が出撃した。なお、この作戦のためには第7巡洋艦戦隊以外も出撃しており、それらはすべてジョン・トーヴィー中将の指揮下にあった。また、アレクサンドリアとマルタの偵察機も作戦の支援を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エスペロ船団の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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