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エズメ・スチュワート : ミニ英和和英辞書
エズメ・スチュワート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エズメ・スチュワート ( リダイレクト:エズメ・ステュワート (初代レノックス公) ) : ウィキペディア日本語版
エズメ・ステュワート (初代レノックス公)[ちょうおん]

初代レノックス公爵エズメ・ステュワート(、 1542年頃 - 1583年5月26日)は、スコットランドの貴族。
スコットランド王ジェームズ6世の寵臣。カトリックとしてプロテスタントの摂政第4代と対立し、1581年にモートン伯を処刑に追いこんで権力を握ったが、その翌年にプロテスタント貴族がを起こしたため、フランス亡命を余儀なくされた。
== 経歴 ==
1542年頃、スコットランド貴族の第3代の三男でフランス貴族オービニー卿(Seigneur d'Aubigny)の爵位を持つジョン・ステュワートとその妻アン(旧姓デ・ラ・クユール)の長男として生まれる。
第4代レノックス伯の甥にあたり、したがって4代レノックス伯の子であるダーンリー卿ヘンリー・ステュワート(メアリー女王王配)とは従兄弟の関係にあたる。
1567年5月31日の父の死によりフランス貴族爵位オービニー卿を継承した〔〔。
フランスで育ったが、フランス・カトリック指導者ギーズ公アンリ1世の後援を受け、プロテスタントのスコットランド摂政第4代を排除する目的で1579年にスコットランドに帰国した。
美男子であり、マナーが洗練されていたため、少年王ジェームズ6世を魅了した。アンガスのアーブロウス修道院(Arbroath Abbey)の領地を与えられ、1580年3月5日にはレノックス伯爵(Earl of Lennox)とダーンリー=オウビニー=ダルキース卿(Lord Darnley, Aubigny and Dalkeith)、1581年8月5日にはレノックス公爵(Duke of Lennox)、ダーンリー伯爵(Earl of Darnley)、オウビニー=ダルキース=トーボルトン=アバーダー卿(Lord Aubigny, Dalkeith, Torboltoun and Aberdour)に叙せられた。これら5つの爵位はいずれも直系の男系男子(heirs male of his body)に相続させる規定が付いたスコットランド貴族爵位である〔。
奸計をめぐらし、1581年1月にはモートン伯にダーンリー卿暗殺の罪を着せて、モートン伯を失脚・処刑に追いやり、代わって摂政に就任した。しかしこの強引な権力奪取はモートン伯を支持するプロテスタントの怨嗟を買い、カトリック再興への警戒感が高まった。そして翌1582年には初代らプロテスタント貴族がジェームズ6世を誘拐するを起こすに至り、レノックス公はフランスへの亡命を余儀なくされた。
1583年5月26日にフランス・パリで客死した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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