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エゾシカ大量死(エゾシカたいりょうし)では、明治時代前期に起きたエゾシカの大量死について説明する。 北海道は明治12年(1879年)に、2月22日から24日にかけて豪雪、それから1週間ほど経った3月4日から6日にかけて暴風雨に見舞われ、エゾシカが大量に斃死する事態になった。エゾシカの死頭数は少なく見積っても20 - 30万頭に上ると推定されている〔『野生動物調査痕跡学図鑑』(p401)より。〕。 == 生息数と死頭数 == エゾシカが大量死する前提として、大量に生息している必要がある。1879年にエゾシカが大量死する以前の生息数をいくつかの史料に基づいて推定する。 最初に1879年冬の狩猟や斃死によるエゾシカの死頭数を計算してみる。 # 『函館新聞』明治12年(1879年)3月26日号には、釧路周辺で10万頭を狩猟したとある。 # 『札幌県勧業課年報 第1回(明治15年版)』には、十勝国以東でエゾシカの角を16万本拾集したとある。エゾシカの場合、角はオスだけにあり〔『野生動物調査痕跡学図鑑』(p387)より。〕、角座(かくざ)は1頭につき2ヶ所あるので〔『野生動物調査痕跡学図鑑』(p388)より。〕、オス1頭につき2本の角がある。したがたって、16万本の角はオス8万頭に相当する。メスもオスと同数いたと仮定すると、十勝国以東では16万頭のエゾシカが死んだことになる〔『野生動物調査痕跡学図鑑』(p408)より。〕。 # エドウィン・ダンの文書 "Extermination of the Deer."(『蝦夷鹿の絶滅』)には、胆振国勇払郡鵡川地区で政府から派遣された人たちが、エゾシカ5万頭から7万5千頭分の骨を目にしたとある。 釧路は十勝国の東にあるので、釧路で狩猟した10万頭は十勝国以東で斃死した推定16万頭に含まれることになる。十勝国以東の推定16万頭と鵡川の5万頭から7万5千頭を合計すると、21万頭から23万5千頭になる。この死頭数には渡島半島や道北、道央、北見、網走などの地域の分は含まれていない。 北海道野生動物研究所の門崎允昭は、1879年の大量死以前の北海道全域でのエゾシカの生息数は50万頭の可能性があると推測している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エゾシカ大量死」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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