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エチオピア饅頭(エチオピアまんじゅう)は、高知県香南市にあった菓子店「近森大正堂」が製造販売していた饅頭。1930年代のエチオピア戦争で、侵攻するイタリア軍に応戦するエチオピア軍の姿に感動した初代店主が命名した。皮の部分に小麦粉と黒砂糖を、餡にこし餡を用いた一口サイズの饅頭であった。2013年4月17日に三代目店主が死去したことに伴い、近森大正堂は同年5月31日をもって閉店した。 == 概要 == 香南市周辺は、昔より黒砂糖の産地であった。1919年(大正8年)に初代店主が地元の黒糖を使って「黄まんじゅう」を製造・販売を初めた。当初の商品名は店の所在地から「のいち饅頭」と名付けられた。1935年から1936年にかけてイタリアがエチオピアを侵略した(第二次エチオピア戦争)。その際にエチオピア軍兵士が、武装と兵力に勝るイタリア軍に対し、粗末な武器をもって勇敢に戦っているという新聞記事を読んで感動した初代店主が、先述の「のいち饅頭」を「エチオピア饅頭」と改名した。つまり製法も原料もエチオピアとは縁も所縁もない。 高知県の銘菓であったが、TBS系で放送されていた情報番組『はなまるマーケット』に出演した嘉門達夫が紹介したことをきっかけとして、全国的に名前が知られるようになった。1996年、同番組で「エチオピア大使にエチオピア饅頭を食べて貰おう!」という企画が放送された。その名前を聞いた当時の駐日エチオピア大使アーメット・マハディーが、「実際に製造元に行って食べてみたい」と要望したため、同店は大使夫妻の訪問を受けることになった。命名の由来を聞いた大使は「日本人が、エチオピアを応援してくれたことは非常に嬉しい」と述べ、さらにその味を堪能した後「日本の一地方で作られているエチオピアの名前のついた菓子が、両国友好の架け橋になって欲しい」との文章を色紙に書いて店側に送り、同時に在日エチオピア大使館公認菓子とした。この模様は番組内で放送された。 以前の包み紙には、エチオピア人を連想させる黒人のイラストが描かれていたが、人種問題を考慮してか、後に饅頭の写真をプリントした物に変更されている。黒人差別の歴史を持つアメリカ人の中には、事情を知らず、薄茶色の饅頭を見て人種差別的と偏見視する者もいた〔Alliance: The Union of Two Imperiums, Japan and Ethiopia? J. Calvitt Clarke III, Jacksonville University,1999〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エチオピア饅頭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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