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エットーレ・グラチス : ミニ英和和英辞書
エットーレ・グラチス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エットーレ・グラチス : ウィキペディア日本語版
エットーレ・グラチス[ちょうおん]

エットーレ・グラチスEttore Gracis1915年9月24日 - 1992年4月12日)は、イタリア指揮者作曲家
== 生涯 ==
1915年、ラ・スペツィアに生まれる。パルマ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、ヴェネツィア音楽院ピアノと作曲を学ぶ。更にキジアーナ音楽院で作曲をジャン・フランチェスコ・マリピエロ指揮法アントニオ・グァルニエリに師事し、1942年からベネデット・マルチェロ器楽アンサンブルの指揮者として活動を始め、1948年まで務めた。1948年から1950年まではフィレンツェ五月音楽祭の首席指揮者、1950年から1959年までミラノのポメリッジ・ムジカーリの指揮者、1959年よりヴェネツィアフェニーチェ劇場の音楽監督を歴任し、かつての母校であるヴェネツィア音楽院でも教鞭をとった。また、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団パリ管弦楽団イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団など各地のオーケストラに客演している。
レパートリーは広く、バロック古典派の作品の紹介に努めると共に、現代音楽にも関心を寄せ多くの作品を初演している。1992年にトレヴィーゾで没する。
遺された商業録音のうちでは、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリと協演した協奏曲(ラヴェルラフマニノフ第4番)、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」、ガエターノ・ドニゼッティのオペラ《ドン・パスクヮーレ》などが有名である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エットーレ・グラチス」の詳細全文を読む




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