翻訳と辞書
Words near each other
・ エティエンヌ・ダオー
・ エティエンヌ・チセケディ
・ エティエンヌ・デマルトー
・ エティエンヌ・デマルトーセンター
・ エティエンヌ・トルーヴェロ
・ エティエンヌ・ドレ
・ エティエンヌ・ド・シルエット
・ エティエンヌ・ド・ブロワ
・ エティエンヌ・ニコラ・メユール
・ エティエンヌ・バリバール
エティエンヌ・ピエール・ヴェンテナ
・ エティエンヌ・ピヴェール・ド・セナンクール
・ エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール
・ エティエンヌ・ベズー
・ エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック
・ エティエンヌ・マルセル
・ エティエンヌ・マルセル駅
・ エティエンヌ・ムリニエ
・ エティエンヌ・メユール
・ エティエンヌ・ルイ・ブーレー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エティエンヌ・ピエール・ヴェンテナ : ミニ英和和英辞書
エティエンヌ・ピエール・ヴェンテナ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エティエンヌ・ピエール・ヴェンテナ : ウィキペディア日本語版
エティエンヌ・ピエール・ヴェンテナ[ちょうおん]
エティエンヌ・ピエール・ヴェンテナ(Étienne Pierre Ventenat、1757年3月1日 - 1808年8月13日)は、フランス植物学者である。
==略歴==
リモージュで生まれた。牧師でサント=ジュヌヴィエーヴ図書館の館長を務めていたが、イギリスを訪れ、植物園やイギリスの植物学の発展を見て植物学研究を目指した。フランス革命後、牧師をやめシャルル=ルイ・レリティエ・ドゥ・ブリュテルと植物学の研究を始めた。1972年にいくつかの論文を書いた。1794年にデュピュイ(Sophie Dupuis)の図版で、「植物学の原理」("''Principes de Botanique''")という著書を出版したが、内容に不満で、すべてを廃棄するために買い戻そうとした。1795年に再建されたフランス科学アカデミー(その時期はInstitut national des sciences et des arts)の植物学部門の会員に選ばれた。
1798年にアントワーヌ・ローラン・ド・ジュシューの「植物の属」("''Genera plantarum''")の翻訳に、植物の利用法と来歴を加えた「ジュシューの方法による植物一覧」("''tableau du végétal selon la méthode de règne Jussieu''")を出版した。、
ヴェンテナの著書としては、園芸家、ジャック・フィリップ・マルタン・セルスの集めた植物などをピエール=ジョゼフ・ルドゥーテが図版をつけて紹介した「J-Mセレスの庭園で栽培された新しく珍しい植物」("''Description des plantes nouvelles et peu connues, cultivées dans le jardin de J.-M. Cels''")や、ナポレオン・ボナパルトの最初の妻、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネが世界中から集めて、マルメゾン城の温室で育てさせた植物をルドゥーテやセリエル(François Noël Sellier)の銅版画で紹介した「マルメゾンの庭園」("''Jardin de la Malmaison''")などがありその美麗さで知られている。菌類学者、ピエール・ビュイヤールの菌類の著作、"''Histoire des champignons de la France''"の編纂も続けた。
弟のルイ・ヴェンテナ(Louis Ventenat)も博物学者で、ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー捜索のためのアントワーヌ・ブリュニー・ダントルカストー太平洋探検航海に船上牧師、博物学者として加わった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エティエンヌ・ピエール・ヴェンテナ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.