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イーディス・ジョンソン(, 1894年8月10日 - 1969年9月6日)は、アメリカ合衆国の女優である〔Edith Johnson, Internet Movie Database , 2010年6月4日閲覧。〕。日本では大正時代にエディス・ジョンソンと紹介された〔エディス・ジョンソン、キネマ旬報映画データベース、2010年6月4日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1894年(明治27年)8月10日、ニューヨーク州モンロー郡ロチェスターに生まれる〔。 1913年(大正2年)、満18歳のときにセリグ・ポリスコープ・カンパニーに入社、ハーディー・カークランド監督、マック・バーンズ主演の短篇映画 ''Tommy's Atonement'' に、バーンズの相手役として出演したのが、もっとも古い出演記録である〔。以降、同社が量産する短篇映画に出演する〔。 1916年(大正5年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、同年に同社が傘下に設立したブルーバード映画で、ヘンリー・マックレイ監督の『戦陣』に主演、ヴェテランのハリー・ケリーと共演する〔。ブルーバード映画では、ほかにも翌1918年(大正7年)にジョセフ・ド・グラス監督の『黒き雨』および『誰の手に』に主演のフランクリン・ファーナム相手役として出演〔、いずれも日本でも公開されている〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.〕。同年、ヴァイタグラフ・カンパニー・オヴ・アメリカ(ヴァイタグラフ・スタジオ)に移籍すると、ウィリアム・ダンカンが監督・主演する映画に立て続けに相手役として出演する〔。満27歳となる1921年(大正10年)、15歳年長のウィリアム・ダンカンと結婚する〔。1924年(大正13年)、夫ダンカンの監督・主演作『北国の狼』に共演したのを最後に映画界を退く〔。 1961年(昭和36年)2月8日、夫ウィリアム・ダンカンと死別する〔。 1969年(昭和44年)9月6日、カリフォルニア州ロサンゼルス郡ロサンゼルス市で、転落により重傷を受け死去した〔。満75歳没。同州同郡イングルウッドにあるイングルウッド公園墓地に眠る〔Edith Johnson, Find A Grave , 2010年6月4日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イーディス・ジョンソン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Edith Johnson 」があります。 スポンサード リンク
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