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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エディ・カリー(Eddy Anthony Curry Jr.、1982年12月5日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。身長211cm、体重130kg。ポジションはセンター。イリノイ州ハーベイ出身。 ==経歴== 少年時代は体操競技選手になることを夢見ていた。ソーンウッド高校を卒業後、大学には進まず2001年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズから1巡目4位指名でNBA入り。同じく高卒で同じ年にブルズに入団したタイソン・チャンドラーと共に将来を嘱望され、ブルズの伝説的スター、マイケル・ジョーダンの背番号「23」にあやかって、カリーは「2」、チャンドラーは「3」の背番号を付けていた。技術は未熟ながらも大柄な体格を活かし、ゴール下では抜群の得点力を発揮。2年目の2002-2003シーズンにはフィールドゴール成功率はリーグトップの58.5パーセントを記録した。2004-05シーズンにはブルズのマイケル・ジョーダン時代以来のプレイオフ進出に貢献するが、2005年3月に不整脈が発覚し、以降シーズン終了までの13試合を欠場。プレイオフも全て欠場し、チームはカリーの不在もあってプレイオフ1回戦で敗退した。FAとなっていたカリーに、ブルズは契約のためにも遺伝子検査を要求。検査で異常が見つかり、引退を余儀なくされた場合には、ブルズは毎年40万ドルを50年間支払う意向だったが、カリーは検査を拒否したため、ブルズはカリーの放出を決断した。健康上の不安を抱えるカリーのトレードは難航したが、ニューヨーク・ニックスとの間でカリーを含む5選手が絡んだトレードが成立した。 ニックスでは当時ヘッドコーチであったラリー・ブラウンとの間でチームのエースであったステフォン・マーブリーと共に軋轢が生じ、チーム成績は低迷を極めた。2006-2007シーズンにはゼネラルマネージャーからヘッドコーチに就任したアイザイア・トーマス体制のもと、カリーはチームのリーディングスコアラーとして活躍したが、プレイオフ進出は逃した。翌2007-08シーズンにはニックスが新たに獲得したザック・ランドルフとのコンビが注目を集めたが、上手く共存できず成績は大きく後退。 2008-09シーズンは体重超過や故障などでシーズンをほぼ全休。私生活では元運転手から同性愛を求められたとして訴えられ、また22万ドルの借金でマンションを差し押さえられ、さらに元恋人とその娘が殺害されるという事件(殺害された娘はカリーの子供ではないが、カリーと元恋人との間に生まれた当時3歳の息子は事件現場に居合わせた。容疑者は元恋人の弁護士)も起こり、公私ともに厳しい状況に追いやられている。 2011年2月22日、コーリー・ブリューワーとの交換トレードにより、アンソニー・ランドルフと共に、ミネソタ・ティンバーウルブズへ放出され、すぐに解雇された。同年12月にマイアミ・ヒートと契約し、チャンピオンリングを得たが、FAに伴い事実上の戦力外となり、2012年10月トレーニング・キャンプ時にサンアントニオ・スパーズと契約したがチームには合流せず、その後ダラス・マーベリックスに移籍したが、即解雇され、中国でプレーした後、引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エディ・カリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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