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エディ・ギルバート : ミニ英和和英辞書
エディ・ギルバート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エディ・ギルバート : ウィキペディア日本語版
エディ・ギルバート[ちょうおん]

"ホット・スタッフ" エディ・ギルバート"Hot Stuff" Eddie Gilbert、本名:Thomas Edward Gilbert, Jr.1961年8月14日 - 1995年2月18日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州レキシントン出身。
業界紙『レスリング・オブザーバー』の "Wrestling Observer Newsletter awards" において1988年度の "Best Booker" に選出されるなど、ブッカーとしても活躍した。父親のトミー・ギルバート、弟のダグ・ギルバートもプロレスラーである〔。
== 来歴 ==

=== 初期 ===
父トミー・ギルバートのトレーニングのもと、1979年2月10日に17歳でデビュー〔。地元テネシー州メンフィスCWAを主戦場に、ベビーフェイスの新鋭としてトミーやリッキー・モートンとのタッグチームで活動。モートンとのコンビでは1981年8月31日、アメリカ武者修行中の大仁田厚(ミスター・オーニタ)&渕正信(マサ・フチ)から南部タッグ王座を奪取、NWAオクラホマ地区ではマイク・ジョージ&エド・ウィスコスキーとトライステート・タッグ王座を争った。
1982年の下期からは約1年間、ビンス・マクマホン・シニアが主宰していたWWFをサーキット。サージェント・スローターマスクド・スーパースターなど、当時のWWFヘビー級王者ボブ・バックランドの挑戦者となるヒール勢のジョバーを務める一方、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンではカルロス・ホセ・エストラーダから勝利を収め、カート・ヘニングとの若手コンビでも活動した。1982年11月25日には、フィラデルフィアスペクトラムにてタイガーマスクWWFジュニアヘビー級王座にも挑戦。翌1983年10月、WWFルートで新日本プロレスに初来日したが、負傷により途中帰国している〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P74(2002年、日本スポーツ出版社)〕。
1984年より古巣のCWAに復帰し、AWAに移籍したファビュラス・ワンズスティーブ・カーン&スタン・レーン)の後任として、トミー・リッチとニュー・ファビュラス・ワンズを結成する〔。ココ・ウェアノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングスなどと抗争したが、CWAを離脱したカーン&レーンへのあてつけとして組まされたクローン・チームだけに成功には至らず、リッチとの仲間割れアングルのもとギルバートはヒールに転向〔。以後はリッチやジェリー・ローラーと抗争を繰り広げ、1985年2月にはローラーからAWA南部ヘビー級王座を奪取した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エディ・ギルバート」の詳細全文を読む




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