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エディ・パルミエリ(Eddie Palmieri, 1936年12月15日 - )はニューヨークサウス・ブロンクス出身のラテンジャズ及びサルサミュージシャン。ハード・ラテンというスタイルを築いた人物でもある。 == バイオグラフィ == ニューヨーク市のブロンクス地区生まれ。両親はイタリア系、プエルトリコ系移民。兄であるチャーリー・パルミエリと8歳からピアノを始める。ラテン・ミュージシャンの兄からの影響も強い。15歳になると、自己バンドを地元ブロンクスの仲間と共に結成。19歳でプロのピアニストとなり、20歳からはティト・ロドリゲス等ニューヨーク・ラテンのシーンに登場する。 ロドリゲスの元を離れると、トロンボーン奏者のホセ・ロドリゲスやバリー・ロジャースと、自己バンド「ラ・ペルフェクタ」を結成して''La Perfecta''シリーズ(Alegre)を発表。ジャズ界のJ.J.ジョンソンとカイ・ウィンディングによるトロンボーン・コンビからの影響も強く、サルサ・ミュージックのパイオニアとなり、また後継のウィリー・コローン等に強い影響を及ぼした。1960年代半ばからは、ジョン・コルトレーンやマッコイ・タイナー、セロニアス・モンク等からの影響も強くなり、ジャズにも傾倒し、独自のピアノ・スタイルを築き上げていった。 1974年発表の''The Sun of Latin Music''(Coco)で1975年度第18回グラミーの「最優秀ラテン・レコーディング」賞を獲得。1984年発表の''Palo Pa Rumba''、1985年発表の''Solito''(2作ともMusica Latina)、1987年発表の''La Verdad''(Sonido Inc.)も次いでグラミー賞を受賞した。 1988年に兄チャーリーが死去した後は、「アフロ・キューバン・オクテット」を結成し、世界各地のジャズ・フェスティバルなどに出演した。1992年発表の''Sueño''(Intuition)では、ジャズ・フュージョン界のデイヴィッド・サンボーンやマイク・スターンとも共演した。また同年には来日公演をしている。 2000年にはティト・プエンテとの共作、''Masterpiece / Obra Maestra''を発表、グラミー賞を受賞した。2002年には自身の作品をセルフ・カバーした''La Perfecta II''(Concord Records)を発表し、同年に10年ぶりとなる来日公演を果たした。2005年は音楽生活50周年記念を迎えるものであり、記念アルバム''Listen Here!''(Concord Records)を発表。このアルバムにはマイケル・ブレッカー、ジョン・スコフィールド、クリスチャン・マクブライドらが参加し、このアルバムは2006年にグラミー賞を受賞した。2005年にも来日公演をした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エディ・パルミエリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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