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エディ・ヘイゼル(Eddie "Maggot Brain" Hazel、1950年4月10日 - 1992年12月23日)はアメリカ合衆国のミュージシャンでギタリスト。ニューヨーク市ブルックリン地区生まれ。主に1970年代前半にPファンク軍団の一員として活躍し、ファンク、ブラックロック創成に携わった。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第43位、2011年の改訂版では第83位。 == 来歴 == ニューヨーク市ブルックリンに生まれたが、母グレース・クック (Grace Cook) はドラッグにあふれた環境の悪いところで育てることを嫌い、ニュージャージー州プレインフィールドに移り住んだ。母が仕事でブルックリンと行き来する生活を送る間、幼いエディは兄からクリスマスプレゼントにもらったギターに没頭するようになり、また教会で歌うようになった。12歳の時にギタリスト・ベーシストのビリー・ネルソンに出会い、またドラムを加えてトリオで一緒に演奏するようになった。主にモータウンものを演奏していたという。 ドゥーワップグループ、ザ・パーラメンツ(パーラメントの前身)を率いるジョージ・クリントンの友人であったビリー・ネルソンは、1966年ギタリストとしてザ・パーラメンツのバックバンドに参加した。ビリーはエディをバンドに誘い、当時17歳だったエディは最初母に反対されたものの、ジョージとビリーの説得により、1967年ジョージと活動を始めることとなった。エディがギタリストとして加入したため、ビリーはベーシストに転向した。エディはツアー先で知り合ったティキ・フルウッドをグループのドラマーに誘い、またリズムギターにタウル・ロスが、キーボードにバーニー・ウォーレルがメンバーに加わった。このバンドは、ザ・パーラメンツの契約レーベル、レヴィロットとの契約上の問題からザ・パーラメンツの名称が使えず、ファンカデリックとしてウェストバウンドレーベルと1968年に契約し、活動を始めた。 エディのギターはジミ・ヘンドリックスにもよく似た、ファズ、フェイザーやテープエコーといったエフェクターを多様したハードかつ「黒い」(伝統的な黒人音楽のノリを持った)ギターサウンドであり、ファンカデリックはこのギターサウンドを中心としたファンク・ブラックロックミュージックを展開した。エディはファンカデリックでリードギターを担当し、多くの曲でボーカル、作曲にも関わった。ファンカデリックにおいてエディは幾多の作曲を行っているが、多くは彼の母親であるグレース・クック名義である。これは、印税が母の元に入るようにという彼の計らいだったようである。 ファンカデリック1970年発表のサードアルバム『マゴット・ブレイン ''Maggot Brain'' 』収録の同タイトル曲は10分超のエディのギターソロをフィーチャーしており、スローテンポのギターアルペジオの上を悲しく、激しく高揚するギターソロが縦横無尽に駆け巡るもので、ジョージ・クリントンの「今、母親が死んだと思って弾け」との助言に従って演奏したものという。 ファンカデリック1974年発表の6枚目のアルバム『スタンディング・オン・ザ・ヴァージ・オブ・ゲッティング・イット・オン ''Standing on the Verge of Getting It On'' 』は全ての収録曲の作曲がエディの手によるものであり(クレジットはGrace Cook名義)、エディのハードなギターが全面に出たサウンドであった。 1974年、エディはスチュワーデスに対する暴行および薬物不法所持にて1年間の懲役を受けた。その間ジョージはグループのギタリストに、新たにゲイリー・シャイダー、マイケル・ハンプトンを迎え入れた。そのため、エディがファンカデリック1975年発表のアルバム『レッツ・テイク・イット・トゥー・ザ・ステージ ''Let's Take It to the Stage'' 』の録音に戻ってきたときはリードギターの座は奪われており、エディのギターがフィーチャーされることはほとんど無くなってしまう。 1977年、Pファンクメンバーの協力を得てソロアルバム『ゲーム・デームス・アンド・ギター・サングス ''Game, Dames & Guitar Thangs'' 』を発表。生前唯一のソロ作品となった。 1978年、ファンカデリックにとって最大の成功を収めたアルバム『ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ ''One Nation Under A Groove'' 』が発表されるが、この作品より完全に不参加、脱退状態となる。 その後は時折Pファンク関連の仕事をする以外は音楽シーンから遠ざかり、1992年12月23日42歳で肝不全により死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エディ・ヘイゼル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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