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エディー・ボー (Eddie Bo, 1930年9月20日 - 2009年3月18日)は、米国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のピアニスト、シンガー。本名は、エドウィン・ジョセフ・ボケイジ。ニューオーリンズのR&Bシーンが活況を呈していた1950年代より50年以上に渡って活躍した。 彼自身はヒットに恵まれていないが、彼の持ち歌である"I'm Wise"は、リトル・リチャードによって取り上げられ、"Slippin' and Slidin'"の名でヒットとなった。60年代の後半以降は、ファンキーなサウンドを展開し、ニューオーリンズ・ファンクの一端を担った。 ==来歴== 母はピアニスト、また叔父やいとこがジャズ・オーケストラで活躍するという音楽一家に生まれたボーは、当初はニューオーリンズのジャズ・シーンで活動を始めた。しかしながら、やがてより稼げる選択肢として、R&Bをプレイするようになった。芸名をスパイダー・ボケイジと名乗り、彼のバンドは、ルース・ブラウン、アール・キングらR&Bのスターたちのバックをつけるようになった。 1955年、エイス・レコードよりデビュー。翌1956年にアポロ・レーベルよりリリースした"I'm Wise"は、"Slippin' and Slidin'"の名でリトル・リチャードに取り上げられ、広く知られるようになった。この他、地元リック・レーベルから"Every Dog Has Its Day"、"Check Mr. Popeye"など多くの曲をリリースしているほか、チェス、チェッカーにもレコーディングを残している。 1960年代に入ると、地元の零細レーベルから単発的にシングルをリリースし続け、またアーマ・トーマス、ジョニー・アダムスら、他のアーティストのプロデューサーとしても活躍した。1960年代後半には、ニューオーリンズ・ファンクの原型とも言えるファンキーなサウンドを展開。1969年のスクラム・レーベルからのシングル"Hook and Sling (Parts 1 & 2) "は、ボーのそのような側面を示した快作で、彼の曲としては最もよく知られているもののひとつである。 1970年代に入ると、自身のレーベル、ボーサウンドを立ち上げてそこから作品をリリースするようになった。このレーベルは一度休眠状態になっていたが晩年に復活し、彼は再びいくつかの作品を同レーベルからリリースしている。 2003年には、自身のクラブ、チェック・ユア・バケットをニューオーリンズ市内に開店するものの、2005年のハリケーン・カトリーナで被害を受け閉店してしまった。 2009年3月19日、ボーは心臓発作により死去した〔New Orleans piano legend Eddie Bo dies at 79 (The Times-Picayune) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エディー・ボー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Eddie Bo 」があります。 スポンサード リンク
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