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エデンの園[えでんのその]
エデンの園(エデンのその、Garden of Eden、)は、旧約聖書の『創世記』(2:8-3:24)に登場する理想郷の名。楽園の代名詞になっている。パラダイスとも言う(、)。地上の楽園とも言う。 ==創世記の記述==
『創世記』の記述によればエデンの園は「東の方」(2:8)にあり、アダムとエバは、エデンの園を耕させ、守らせるために、神によって、そこに置かれ(2:15)、そして、食用果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。 また、エデン〔エデンの園はエデン(エデンはシュメール・アッカド語で「平地」の意味)に内包される。〕から流れ出た1つの川は園を潤し、そこから4つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあったハビラ〔アラビア半島のことと考えられている。ただしペルシャ湾が陸地であった時期はメソポタミアを介さず直接ペルシャと地続きとなるため、必ずしも半島とは呼べない。〕全土を流れるピション川〔高度720kmの人工衛星ランドサットの静止画像から、現在は涸れ川となっているが、アラビア半島(ハビラ)を通り、現在のチグリス・ユーフラテス河口付近(当時は陸地。現在はペルシャ湾)に注いでいた、古代の川のことと考えられている。現在のチグリス・ユーフラテス河口にある三角州はWadi Batin(アラビアのヘソの川)と呼ばれていた。〕、クシュ〔エチオピアをクシュとも呼ぶことから、一般にエチオピア(ギホン川をナイル川に比定する説がある)にあったとされるが、それは誤訳とする説がある。この場合のクシュとは、カッシート(Cossaea、古代バビロンの東、北エラムの地)を意味し、メソポタミアに隣接する、現在のイラン北西部の事を指すと考えられている。ランドサットの画像からもこの地に涸れ川の跡が確認されており、現在は存在しないが、古代に現在のチグリス・ユーフラテス河口付近(当時は陸地。現在はペルシャ湾)に注いでいた川があったことが判明している。〕の全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川(チグリス川)、ユーフラテス川)に分かれていた〔海面が現在よりも低かった時代に、現在はペルシャ湾の海の底となっているエデンの地で4つの川が合流してひとつの川となって、現在のホルムズ海峡(海峡を境に東側は急に水深が深くなる)にあった河口から、オマーン湾に流れ出ていたと考えられている。「エデンから流れ出て分かれて四つの川となった」とは高低差を考えず平面地図上の概念としてエデンから上流に遡った見方とする説がある。〕(2:10-2:14)。 ヤハウェ・エロヒムはアダムとイヴが禁じられていた知恵の樹の実(禁断の果実)を食べたことから「人はわれわれのひとりのようになり」、その後、生命の樹の実をも食べたことから永遠に生きることを恐れ、エデンの園から追放する(失楽園)。生命の樹に至る道(月)を守るため、ヤハウェ・エロヒムはエデンの東にケルビム(金星)ときらめいて回転する炎の剣(太陽)を置いた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エデンの園」の詳細全文を読む
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