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エドゥアルト・ナプラブニク : ミニ英和和英辞書
エドゥアルト・ナプラブニク[らぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

エドゥアルト・ナプラブニク ( リダイレクト:エドゥアルド・ナープラヴニーク ) : ウィキペディア日本語版
エドゥアルド・ナープラヴニーク[らぶ]

エドゥアルド・フランチェヴィチュ・ナープラヴニーク(またはナプラヴニクナプラーヴニクとも)(Eduard Francevič Nápravník, Эдуард Францевич НАПРАВНИК, 1839年8月24日 ボヘミア地方ビーシチBýšť) - 1916年11月23日)はチェコ人指揮者作曲家サンクトペテルブルクマリインスキー劇場で永年にわたって首席指揮者を務めたことにより有名。リムスキー=コルサコフキュイロシア人作曲家による多くのオペラを初演した。

また、チャイコフスキー交響曲 第6番「悲愴」は、ナープラヴニークによる改訂稿が一般に使用されている。
14歳で孤児となったため、地元の教会でオルガンを演奏して生計を立てるようになる。1854年にプラハのオルガン学校に入学し、教師の温情によって学業を続けることができた。1861年ロシアから招かれ、サンクトペテルブルクでユスポフ大公(悪名高いフェリックス・ユスポフ公とは別人)の私設オーケストラの指揮者の地位を得た。1864年からロシア音楽協会の演奏会に指揮者として登場し、1869年からはミリイ・バラキレフの後任として同音楽協会の常任指揮者(1881年まで)およびマリインスキー劇場の主席指揮者となる〔『ロシア音楽事典』:(株)河合楽器製作所・出版部(2006年) p.248〕。
ロシア・オペラ界における活躍のほかに、チャイコフスキーの弦楽セレナーデの公開初演(1881年)など、器楽曲の指揮にも携わった。自作もオペラや舞台音楽が数多いが、交響曲や管弦楽曲、室内楽曲やピアノ曲もいくつか遺している。1914年に健康を害して、それ以上の活動を続けることができなくなった。
ナープラヴニークの死後、家族は1917年5月に外国に去り、最終的にベルギーに落ち着いた。
息子のウラディーミルは、ロシア語で父親の評伝を執筆した。(''Eduard Frantsovich Nápravník i ego sovremenniki'', ISBN 5714004124、1991年出版)
ブィシチ村の学校は、こんにちナプラヴニークの名を掲げている。
==作品==

===器楽曲===

* 祝賀行進曲(ロシアの主題とフリードリヒ大王の主題による)
* ピアノと管弦楽のための《交響協奏曲》イ短調 Op.27
* ピアノと管弦楽のための《ロシア幻想曲》ロ短調 Op.39
* チェロとピアノのための組曲 Op.29

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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