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エドゥアルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク : ミニ英和和英辞書
エドゥアルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

エドゥアルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク : ウィキペディア日本語版
エドゥアルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク[ぶる]
エドゥアルト・カール・ヴィルヘルム・クリスティアン・フォン・ザクセン=アルテンブルクEduard Karl Wilhelm Christian von Sachsen-Altenburg, 1804年7月3日 ヒルトブルクハウゼン - 1852年5月16日 ミュンヘン)は、ドイツザクセン=アルテンブルク家(1826年まではザクセン=ヒルトブルクハウゼン家)の公子で、バイエルンの軍人、陸軍中将。
ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公(1826年よりザクセン=アルテンブルク公)フリードリヒと、その妻でメクレンブルク=シュトレーリッツ大公カール2世の娘であるシャルロッテ夫妻の間の末息子として、ヒルトブルクハウゼン(現在のテューリンゲン州ヒルトブルクハウゼン郡)で生まれた。洗礼の代父はイギリス王家のケント公エドワードヴィクトリア女王の父君)である。
バイエルン王国軍に入隊し、第6猟騎兵連隊(Königlich Bayerisches Chevaulegers-Regiment „Prinz Albrecht von Preußen“ Nr. 6)の大尉に任官した。その後、第1猟騎兵連隊の連隊長に昇進している。1832年、姉のバイエルン王妃テレーゼの息子オットーギリシャ王国の統治者に迎えられると、バイエルン軍分遣団の団長として甥オットーに同行し、その後ギリシャの暫定首都ナフプリオの首都長官を務めた。
1834年にバイエルンに帰国して軍隊に復帰、1848年には陸軍中将となった。1844年にはバイエルン王室の聖フーベルトゥス騎士団(Hubertusorden)の騎士に叙任されている。第1次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争では、バイエルン軍の将軍として、テューリンゲン諸侯の加わっているドイツ連邦の側に立って戦い、特にドゥッブル堡塁の戦いでは戦功を立てた。
義兄であるバイエルン王ルートヴィヒ1世とは親友の間柄で、2人の間のたくさんの往復書簡が残っている。1843年にはミュンヘンの動物愛護団体の会長に就任した。またローラ・モンテス騒動が起きるまでは姉テレーゼ王妃にも可愛がられており、多額の資金援助を受けていたほか、ミュンヘンに屋敷まで買ってもらっていた。またテレーゼからザイディンクシュタットの狩猟用城館(Jagdschloss Seidingstadt)を譲られている。
1852年にミュンヘンで死去し、遺骸はザクセン=アルテンブルク公爵家の霊廟に安置された。
== 子女 ==
1835年7月25日にジグマリンゲン(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州ジグマリンゲン郡)において、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カールの娘アマーリエ(1815年 - 1841年)と結婚し、間に2男2女の4人の子供をもうけた。アマーリエとは1841年に死別した。
*テレーゼ(1836年 - 1914年) - 1864年、スウェーデン王子・ダーラナ公アウグストと結婚
*アントイネッテ(1838年 - 1908年) - 1854年、アンハルト公フリードリヒ1世と結婚
*ルートヴィヒ(1839年 - 1844年)
*ヨハン(1841年 - 1844年)
1842年3月8日にグライツ(テューリンゲン州グライツ郡)において、ロイス=グライツ侯ハインリヒ19世の娘ルイーゼ(1822年 - 1875年)と再婚し、間に1男1女の2人の子女をもうけた。
*アルベルト(1843年 - 1902年)
*マリー(1845年 - 1930年) - 1869年、シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯カール・ギュンターと結婚

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドゥアルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク」の詳細全文を読む




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