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エドウィン・イファニー : ウィキペディア日本語版
エドウィン・イファニー[ちょうおん]

エドウィン・イファニーEdwin Ifeanyi, 1972年4月28日 - )は、カメルーン出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーフォワード
== 来歴 ==
1995年に訪日し、ジャパンフットボールリーグを戦う東京ガスサッカー部(現・FC東京)に入団。この時点では、後にJリーグで大活躍するパトリック・エムボマの訪日前でもあり、日本では珍しいカメルーン人プレイヤーとして注目された。左右のサイドハーフやトップ下に入り、攻撃的MFとして運動量とチャンスメイクで貢献。ほぼ通年で出場し安定した活躍を見せた。1997年末の天皇杯ベスト4入りを最後に「カメルーン代表に復帰するため」チームを離れた。
1998年、Jリーグ・ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ移籍。しかし層が厚いV川崎では出場機会に恵まれず、これ以後J2のチームを渡り歩いた。1999年には大宮アルディージャの背番号10を託され、序盤はトップ下に配されていたが、故障もあってシーズン途中でJ1昇格を古巣のFC東京と争う大分トリニータへと移籍。最後の最後にJ1昇格を逃すという目まぐるしい1年を過ごした。2000年のモンテディオ山形でのプレー〔 モンテディオ山形 (2001年4月11日)〕を最後に離日。フランクかつ真面目な好漢であり、ファンに親しまれた。エドウィンの日本でのプレー期間中に兄弟も日本に居住し、日本で料理店を開店している。
その後カメルーンへ戻り、2004年はラシン・クラブ・バフーサムCameroon 2004 〕、2005年はマウント・カメルーンFCMount Cameroon F.C Will Go For African Titles - President 〕に所属していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドウィン・イファニー」の詳細全文を読む




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