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エドゥサ革命(エドゥサかくめい、, )は、1986年2月22日の国軍改革派将校の決起から25日のアキノ政権樹立に至るまでフィリピンで発生した革命である〔非武装の市民が民主化を求めデモ・集会・座り込みを行った。この革命は韓国(1987年)・ビルマ(1988年)・中国(1989年)・東欧諸国・ソビエトの民主化要求運動へとつながり、最終的にはベルリンの壁崩壊(1990年)や東西ドイツ統一とソ連邦の解体(1991年)をもたらし東西冷戦終結を導いた。〕。「エドゥサ(EDSA)」は政権に抗議する100万の群衆が集まったマニラ首都圏のエピファニオ・デ・ロス・サントス大通り () を意味する(「エドサ」とも)。 エドゥサ通りは少なくとも3回、革命や大規模な抗議活動、デモの場所となっており、エドゥサだけではいつ起こったものか判別できないので、エドゥサ革命という名称は最近はあまり使われない。「フィリピン2月革命」「フィリピン市民革命」「2月政変」とも呼ばれることもあるが、フィリピンでは「ピープルパワー革命、単にピープルパワー()」という愛称で呼ばれることが最も多い〔アキノ元比大統領が死去 ピープルパワー革命の中心 47NEWS・2009年8月1日、2013年11月11日観覧〕。またシンボルカラーであった黄色から「黄色革命〔〕」とも呼ばれる。 ==背景== ===マルコス独裁=== 1965年に大統領に就任したフェルディナンド・マルコスは、ベトナム戦争へのフィリピン軍の派遣を行う他、東南アジア条約機構 (SEATO) において中心的な役割を果たすなどなど冷戦下において反共産主義の姿勢を強く掲げ、アメリカや日本、韓国や南ベトナムなどの西側諸国との関係を強化する傍ら、国内産業の工業化と西側自由世界の貿易自由化を推進し、フィリピン経済の安定化に貢献した。この様な実績が評価されたこともあり、1969年に行われた選挙で再選を勝ち取った。 しかしマルコス政権はその後独裁の様相を強め、1972年9月21日には、「布告No.1081」によって、フィリピン全土に戒厳令を布告した。この戒厳令により憲法は停止され、1973年には戒厳令の布告中に、大統領職と首相職を兼任することを認める議院内閣制の新憲法を制定、さらに1976年には暫定議会選挙まで両職を兼任できるように憲法改正を行う。 このようなマルコス大統領による独裁支配に反対する野党勢力の中心人物のベニグノ・アキノ(ニノイ・アキノ)らの有力者は次々に拘束され、その多くはアメリカなどの海外への亡命を余儀なくされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドゥサ革命」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 People Power Revolution 」があります。 スポンサード リンク
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