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エドモントン・オイラーズ : ミニ英和和英辞書
エドモントン・オイラーズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドモントン・オイラーズ : ウィキペディア日本語版
エドモントン・オイラーズ[ちょうおん]

エドモントン・オイラーズEdmonton Oilers)はカナダアルバータ州エドモントンを本拠としているナショナルホッケーリーグNHL)所属のプロアイスホッケーチームである。
== 歴史 ==
1972年アルバータ・オイラーズとしてWHA(ワールドホッケーアソシエイション)の創立メンバーとなる。創立時のオーナーはビル・ハンター(Bill Hunter) 。ハンターは従前はエドモントン・オイル・キングスのオーナーであり、後の西部ホッケー・リーグ (Western Hockey League) の創立者でもあるが、彼のエドモントンへのプロホッケーチーム誘致はNHLに頑として拒絶され続けた。アルバータ・オイラーズという名の元々の命名理由は、カルガリー・ブロンコス (Calgary Broncos) の解散後において、アルバータ州の2大都市であるエドモントン、カルガリー双方でのホームゲーム開催を企図していたこととされる。もっとも、チームはエドモントンのみで全興行を行ったが、これは財政上の理由やNHLかWHAのいずれかがカルガリーへ進出するのを容易ならしめるためといわれている。翌年には実態を反映させるために「エドモントン」・オイラーズへと改名。
1978年になって、新オーナーのピーター・ポクリントン (Peter Pocklington) は、球団存続を断念したインディアナポリス・レイサーズ (Indianapolis Racers) から、当時まだ新人だったのちのスーパースター、ウェイン・グレツキーを獲得した。グレツキーは間もなく閉鎖されるWHAの最後の新人王となり、チームはウィニペグ・ジェッツハートフォード・ホエーラーズ 及びケベック・ノルディクス とともにNHLに参画した。
オイラーズは、グレツキー、マーク・メシエケビン・ロー (Kevin Lowe) ら有力若手選手を擁し、NHL参加1年目からスタンレー・カッププレイオフ進出を達成し,
その名をリーグに轟かせた。このプレイオフではフィラデルフィア・フライヤーズに3敗と敗れ、またポール・コフィーヤリ・クリが加入した2年目のレギュラーシーズンの順位は月並みに終わったが、1981年のプレーオフ1回戦では、絶大な人気を誇ったモントリオール・カナディアンズを3勝0敗で破る大番狂わせを演じた。 
1981-1982 シーズンでは、レギュラーシーズンでリーグ最高の成績を収めたものの、若いチームゆえに自らを見失って地区準決勝で敗退した。1983年は初めてスタンレー・カップ決勝に進出したが、3度の優勝経験を持つニューヨーク・アイランダーズの前に1勝3敗で屈した。しかし、その1年後、4勝1敗でアイランダーズを下し、スタンレー・カップ初優勝を決めた。
これが1980年代の「アルバータ王朝時代」、すなわちエドモントンとカルガリー・フレームスがその後5シーズンに渡ってリーグトップの座を巡ってしのぎを削る時代の幕開けとなった。エドモントンは1985年に再びカップ優勝を成し遂げたが、1986年の西部地区(当時はキャンベル地区)決勝の第7試合では宿敵フレームスに痛恨のオウンゴールで敗退、フレームスのカップ決勝(優勝はモントリオール)進出を許した。
1987年はエドモントンは再度カップ決勝に進出し4勝3敗の僅差でフィラデルフィア・フライヤーズを下した。また1988年にはスタンレー・カップを通じて18試合中僅か2敗と無類の強さを見せ、ボストン・ブルーインズを破って過去5年間で4回目の優勝を飾った。

しかし1988年の夏には、グレツキーが金銭1,500万ドルと2選手との交換トレードでロサンゼルス・キングスへ移籍することとなった。この移籍問題はカナダ議会での議題にあがった。この移籍騒動によって1989年のシーズンは混乱続きとなり、エドモントンは1982年以来初めて地区決勝に進出を果せず、またキングスも同様の混乱によって7戦方式のシリーズに敗退した。
続く1990年もエドモントンには混乱が続く。とりわけオールスター選抜選手で将来の殿堂入りを目されたゴーリーのグラント・フューアコカインの所持及び使用で告発されたことは痛手であった。しかしチームは新ゴーリーのビル・ランフォードに続いて勢いを盛り返し、地区でカルガリー、ロサンゼルスに次ぐ成績であったにもかかわらず、5度目のカップ決勝に進出し4勝1敗でボストン・ブルーインズを下した。ゴーリーのランフォードはこの時の目覚しい活躍によりプレーオフ最優秀選手賞を獲得している。
しかし徐々にチームには衰微の兆しが現れ始めていた。グレツキーの移籍はNHLにおける急激な年俸の高騰という新たな現実をもたらし、エドモントンのような市場規模の小さなチームは、もはやアメリカ合衆国大都市のチームが提示する高額年俸とは競争ができなくなりつつあった。マーク・メシエ、ヤリ・クリ、ランフォードやグレン・アンダーソン (Glenn Anderson) らの有力選手はすべて相次いでチームを去り、残されたのは実績の少ない若手選手ばかりとなった。1991年1992年には、地区決勝に進出したものの、オイラーズは過去5年間を支配した往時の面影はなかった。1993年にはリーグ参加以来初めてプレイオフ進出を逃し、その後4年間はプレイオフに姿を見せない低迷が続いた。
オーナーであるポクリントンの所有する精肉会社ゲイナーズ (Gainers) がスキャンダルと不正行為の追求を受け倒産するなど、氷上外でもトラブルは続いた。1990年代のオイラーズはチームの存亡をかけて死に物狂いであった。1999年、ついに37のオーナーから構成されるコンソーシアムがチームを買収し、エドモントンでのチーム存続を明言した。短期間に2つのカナダのチームを失うという事態を深く憂慮したNHLの努力によって、オイラーズはこの支援を受け続けている。
1997年にはオイラーズはプレイオフに久々出場を果たし勝利を重ねた。特に7戦までもつれたダラス・スターズを破ったシリーズは当時の最もエキサイティングな試合の1つといわれ、延長戦において追いすがる敵をかわして決めたゴールで勝利した。次のラウンドではコロラドに敗れはしたものの、オイラーズのプレーオフへの復活に陶然となったと伝えられる。
1998年はエドモントンはプレイオフ2回戦でダラスと再び合いまみえたが、急速に力をつけつつあったダラスの勝利に終わる。ここに、ホッケー史上稀に見る熾烈なライバル関係が始まる。1997年から2003年までの間、実にプレーオフで両者は6度顔を合わせ、そのうち5試合は1回戦での対戦であった。2002年こそ対戦はなかったが、これは両チームともにプレーオフ進出を果せなかったためである。2004年には、この拮抗状態が敗れエドモントンはプレーオフ進出がならなかったが、他方ダラスは進出しコロラド・アバランチと対戦している。
2003年11月22日オイラーズは、NHL初の野外試合、「ヘリテージ・クラシック (Heritage Classic)」を主催した。NHL観客動員数最高の55,000人超の観客をエドモントンのコモンウェルス・スタジアムに集めたこの試合で、オイラーズはモントリオール・カナディアンズに4対3で敗れた。
2004年1月23日オイラーズは、AHLに属するマイナーチームのトロント・ロードランナーズが2004 - 2005シーズンの試合を本拠地のレクソール・プレイスで開催すると発表した。これは、NHLの同シーズンが2004年から2005年のNHLロックアウトにより試合中止となることを受けたものである。
2005-06シーズン、オイラーズはカンファレンス8位とぎりぎりのラインでプレイオフに進出し、1回戦でシーズン最多勝ち点を獲得したチームに与えられるプレジデント・トロフィーを獲得したデトロイト・レッドウイングスと対戦した。大方の予想を裏切りレッドウイングスを破り、2回戦でサンノゼ・シャークスを破り、カンファレンス決勝でアナハイム・マイティダックスを破り、プレイオフのフォーマットが変更されてから初めての「第8シードからスタンレーカップ決勝進出」したチームとなった。
スタンレーカップ決勝ではエースゴーリードウェイン・ロロソンを第1戦の怪我で欠きながらも第7戦までもつれ込ませるが、惜しくもカロライナ・ハリケーンズに破れスタンレーカップ獲得を逃している。
オイラーズはダウンタウン・エドモントンに建設中のロジャーズ・プレイスを2016-17シーズンに移転する予定である〔Rogers Place 〕〔http://www.theprovince.com/sports/Council+approves+revised+downtown+Edmonton+arena+deal/7861481/story.html〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドモントン・オイラーズ」の詳細全文を読む




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