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エドモンド・モーティマー : ミニ英和和英辞書
エドモンド・モーティマー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドモンド・モーティマー ( リダイレクト:エドマンド・モーティマー (俳優) ) : ウィキペディア日本語版
エドマンド・モーティマー (俳優)[ちょうおん]

エドマンド・モーティマー(, 1874年8月21日 - 1944年5月21日)は、アメリカ合衆国俳優映画監督脚本家である〔Edmund Mortimer, Internet Movie Database , 2010年6月15日閲覧。〕。本名エドマンド・モーティマー・オルスン()、エドワード・モーティマー()、エドウィン・モーティマー()ともクレジットされた〔。
== 人物・来歴 ==
1874年(明治7年)8月21日ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれる〔。
当初のキャリアは舞台俳優である。1904年(明治37年)12月から1905年(明治38年)11月にかけての約1年間、ニューヨーク西42番街のルー・M・フィールズ劇場で ''It Happened in Nordland'' の舞台に立った記録がある〔Edmund Mortimer, Internet Broadway Database , 2010年6月15日閲覧。〕。1913年(大正2年)まで舞台で活躍している〔。
満40歳を迎える1914年(大正3年)、ハーバート・ブレノン監督の短篇映画 ''Watch Dog of the Deep'' に「エドワード・モーティマー」の名で出演したのが、もっとも古い映画への出演記録で、以降、映画俳優に転向、インディペンデント・ムーヴィング・ピクチャーズの作品に出演する〔。1915年(大正4年)に同社を離れ、1916年(大正5年)、クララ・キンボール・ヤングが主宰するプロダクションで彼女の主演作『日蔭の女』に出演した後、1918年(大正7年)にクララが主演する同社のサイレント映画 ''The Savage Woman'' で監督としてデビュー、以降、監督業に専念する〔。同年、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)傘下のブルーバード映画で、カーメル・マイヤースを主演に『社交界の花形』を監督〔、同作は日本でも公開された〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.〕。1928年(昭和3年)、マーガレット・リヴィングストン主演のサイレント映画『男性の敵』を監督したのを最後に、監督業を廃業する〔。
1930年(昭和5年)以降、トーキーにノンクレジットで出演する脇役俳優となり、最晩年まで映画出演を続け、サム・ウッドが監督した『サラトガ本線』にノンクレジットで出演したのが最後となった〔。
1944年(昭和19年)5月21日カリフォルニア州ロサンゼルス市で死去した〔。満69歳没。遺作となった『サラトガ本線』は没後の1945年(昭和20年)11月21日に公開された〔, 2010年6月15日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドマンド・モーティマー (俳優)」の詳細全文を読む




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