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エドモン・ド・ゴンクール(Edmond de Goncourt、1822年5月26日 - 1896年7月16日)はフランスの作家、美術評論家。 弟ジュール・ド・ゴンクール(Jules de Goncourt、1830年12月17日 - 1870年6月20日)と共同制作したゴンクール兄弟として著名である。兄弟の共同作品で約30冊の小説、歴史書などを公刊した。 == 生涯と著述 == 結核の悪化により、40才の若さで弟ジュールが病没した時は、兄エドモンは筆を取れないほどだったが、弟の遺稿を添削する事などで徐々に立ち直り、没する寸前まで小説や評伝、美術評論など約10数冊の作品を著述した。 1851年から共作で書かれ始めた『日記(''Journal des Goncourt'')』が著名。19世紀フランス文壇のみならず社会全般にわたり、赤裸々に書かれている。晩年(1887年から1896年、全9巻)に、一部が公刊され反響が大きかった。交流相手の作家はフローベルやゴーティエ、バルザック、サント=ブーヴなどである。 没後60年を経た1956年に、完全版を刊行しようとしてアルフォンス・ドーデ(晩年に弟のように接し、その邸宅で急逝した)の子孫から、訴訟沙汰起され一時取り止めになったが、後に公刊された。日本人ではパリ万国博覧会関係で、総理大臣に就いた西園寺公望や松方正義等が登場する。 晩年は歌麿、北斎等の浮世絵を始めとした近世日本美術の紹介に務め、ジャポニスムの興隆に多大な役割を果たした。これには越中(富山)高岡出身の画商林忠正の協力が大きく、『日記』にも多く登場しており、また永井荷風『江戸芸術論』(新版岩波文庫)にも、紹介文「ゴンクウルの歌磨及北斎伝」がある。 没後遺言により遺産を基に、文学賞としてゴンクール賞が創設され、1903年にアカデミー・ゴンクールが発足した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドモン・ド・ゴンクール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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