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エドワード・アシリング : ミニ英和和英辞書
エドワード・アシリング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・アシリング : ウィキペディア日本語版
エドワード・アシリング[ちょうおん]

エドワード・アシリングエセリングEdward Ætheling)、または亡命者エドワード(Edward the Exile)、1016年 - 1057年2月)は、イングランドエドマンド2世とエディス・オブ・イースト・アングリア(Edith of East Anglia, またはÆldgyth)の息子。「亡命者」という添え名は、その生涯のほとんどを祖国イングランドから遠く離れてところで過ごしたことからつけられた。
==生涯==
1016年にデーン人がイングランドを侵略し、エドマンド2世の死を経て、デンマーク王子クヌートがイングランド王に即位した。クヌートはエドマンド2世の子エドワードとエドマンドを大陸に追放した。生後数ヶ月だったエドワードは、この子を殺すようにとの指図書きとともにスウェーデンオーロフの王宮に連れて行かれた。しかしエドワードは密かにキエフに運ばれた。キエフ大公ヤロスラフ1世の王妃インゲヤード(Ingegerd Olofsdotter)はオーロフの娘だった。そこからハンガリーに移された。
それから長い年月が経ち、クヌート死後に即位した叔父のイングランド王エドワード懺悔王はエドワードが生きていたことを知り、自分の王位継承者にするためにエドワードをイングランドに呼び戻した。エドワード生存の報せが懺悔王の耳に届いたのは、デーン人による長いイングランド支配からアングロ・サクソン王朝(ウェセックス家)が覇権を取り戻したものの、後継者がおらず、その家系が途絶えかけ、ウェセックス伯ゴドウィン(Godwin)の子であるハロルド・ゴドウィンソン(後のハロルド2世)や、海峡の向こうのノルマンディー公ギヨーム2世(後のウィリアム1世)が次の王位を狙っている時期だった。エドワードはウエセックス家を受け継ぐ最後の頼みの綱だったのだ。
1057年、エドワードはイングランドに帰国したが、到着して2日後に亡くなってしまった。正確な死因は不明だが、殺された可能性もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・アシリング」の詳細全文を読む




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