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エドワード・オズボーン・ウィルソン : ミニ英和和英辞書
エドワード・オズボーン・ウィルソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・オズボーン・ウィルソン : ウィキペディア日本語版
エドワード・オズボーン・ウィルソン[ちょうおん]

エドワード・オズボーン・ウィルソンEdward Osborne Wilson, 1929年6月10日 - )はアメリカ合衆国昆虫学者社会生物学生物多様性の研究者、バイオフィリアコンシリエンスなどの理論提唱者、環境保護主義の支援者。世俗的ヒューマニズムブライト運動の支援、および宗教倫理への対話的姿勢によっても知られている 。
2007年現在、ハーバード大学比較動物学博物館のペルグリノ名誉教授であり、サイコップおよび世俗的ヒューマニズムを推進するCODESHの会員である。
== 経歴 ==
ウィルソンはアラバマ州バーミングハムで生まれた。自伝『ナチュラリスト』によれば、幼少期はワシントンDCの近郊とアラバマ州モービルの田舎を行き来しながら過ごした。早くから彼は自然に興味を向けた。彼の両親、エドワードとイネス・ウィルソンは彼が7歳の時に離婚した。同年、釣りの事故で目に障害を負っている。彼は父と継母に連れられて、街をいくつか渡り歩いた。そのため、哺乳類鳥類への興味を次第に昆虫へ移していった。その頃にはボーイスカウトに所属しており、9歳の時に初めてワシントンDC近郊のロック・クリーク・パークへ遠征した。13歳の時にモービルの生息していないはずのファイヤーアントを発見した。彼が大学へ入学するまでにファイヤーアントはアラバマ州全体へ拡大した。
16歳の時に昆虫学者になることを決意し、ハエの収集を始めた。しかし第二次世界大戦によって虫ピンが不足すると、興味はアリへと向けられた(アリ用の小瓶なら買うことができた)。アメリカ国立自然史博物館のアリ学者、マリオン・スミスに励まされ、アラバマ州中のアリの調査を行った。
ウィルソンは大学に行く余裕がないかもしれないと考え、合衆国陸軍に入隊しようと考えた。そして大学進学のための奨学金を政府から受けるつもりであった。しかし目の障害のために陸軍の健康テストで不合格となった。だが結局彼はアラバマ大学へ入学することができた。彼はさらに片耳の聴力を失い、のちには軽度の失読症を患った。彼が子どもの頃発見したモービルのファイヤーアントはアラバマ州を越えて広がろうとしていた。アラバマ州はウィルソンにアリの拡散の調査を依頼し、1949年に報告書を提出した。これがウィルソンにとって初めての科学的刊行物となった〔E.O. Wilson Biography 〕。アラバマ大学で学士と修士を取得した後ハーバード大学へ移り、1955年に博士号を取得した。同年、アイリーン・ケリーと結婚した。
1956年にハーバード大学で講師となり、1964年には動物学教授となった。1950年代末までにはアリ学の世界的権威として知られていた。同じ頃、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNA分子を発見すると生物学者の関心は分子生物学へ向いた。ワトソンがノーベル賞を受賞した後、自然史研究を切手収集になぞらえ、彼の同僚がハーバード大学で「分子生物学こそ唯一の生物学である」と宣言したとき、ウィルソンは彼らの振る舞いを傲慢と見なして反発した〔E.O.ウィルソン自伝『ナチュラリスト』〕。この経験は進化学生態学などマクロな生物学分野の発展の必要性を感じさせた。そしてロバート・マッカーサー、エルンスト・マイヤーロバート・トリヴァース、数学者ウィリアム・ボザートといった同僚との接近、(後に反目することになる)リチャード・ルウォンティンやリチャード・レヴィンズらの招聘へと繋がった。
1996年にハーバード大学を定年退職すると、ペレグリノ特別教授職に就任した。同年、アメリカ・ナチュラリスト協会はE.O.ウィルソン・ナチュラリスト賞を創設し1998年から表彰を行っている〔The American Society of Naturalist -Awards- http://www.amnat.org/awa.html#wilson〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・オズボーン・ウィルソン」の詳細全文を読む




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