|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エドワード・オト・クレサップ・オード(、1818年10月18日-1883年7月22日)は、サム・ヒューストン砦の設計者であり、アメリカ陸軍の将軍である。セミノール戦争、インディアン戦争および南北戦争に参戦した。南北戦争の終盤では1軍を指揮し、南軍ロバート・E・リー将軍の降伏を強いた中心人物だった。 == 初期の経歴 == オードはメリーランド州カンバーランドで、ジェイムズとレベッカ・オード夫妻の息子として生まれた。家系図ではイギリスのジョージ4世とマリア・フィッツハーバートの非嫡出子が父のジェイムズとなっている〔ジョージタウン大学文書保管庫には『ジェイムズ・オード自身が関連付けその息子達が蒐集した他の事実を含む歴史』と題する原稿と、ジョージタウン大学図書館特別収集品呼び番号90A469として初版が出た『1873年1月25日に死んだジェイムズ・オードに関するその孫娘メアリー・オード・プレストンによる1896年のメモ』と題する私家版小冊子の写しが保存されている。〕が、実際には1757年にミドルセックス州ワッピングで洗礼を受けたラルフ・オードの息子であると考えられている。ラルフはバーウィック・アポン・トゥィードの代理人ジョン・オードの息子だった〔Anthony J. Camp, ''Royal mistresses and bastards: fact and fiction 1714-1936'' (London, 2007) ISBN 978-0-9503308-2-2, pp. 149-153.〕。オードは数学の天才と見なされ、アンドリュー・ジャクソン大統領によって陸軍士官学校入学指名を受けた。ウェストポイントでのルームメイトには後の将軍ウィリアム・シャーマンがいた。1839年に卒業し、第3アメリカ砲兵隊の少尉に任官された。フロリダ州で第二次セミノール戦争を戦い、中尉に昇進した。 1847年1月、ヘンリー・ハレックやウィリアム・シャーマンと共に蒸気船レキシントン号でホーン岬を回って航海した。カリフォルニア州モントレーに到着し、第3アメリカ砲兵隊F大隊の指揮を執り、マービン砦完成の命令を受けた。この砦はハレック砦と改名された。その建設をオードとその副指揮官となったシャーマン中尉が監督した。1865年2月17日、この砦はオード・バラックスと改名された(現在はモントレー砦として知られている)。 カリフォルニア・ゴールドラッシュが始まり物価が跳ね上がった時に、オードもカリフォルニアにいた。その軍人としての給与では日々の費えもままならなくなり、上官は若い士官がその収入を補うために他の仕事に就くよう薦めた。1848年秋、オードとシャーマンはジョン・"オーガスト"・サッター・ジュニアに雇われて、アメリカ工兵大隊のウィリアム・H・ワーナー大尉を助けてサクラメントの町を測量し、後の州都となる町の広範な中心街区を作り上げる地図作成に貢献した。オードはまた1848年7月25日にはカリフォルニアのゴールド・アンド・クリックシルバー地区の地図も作成した。後にロサンジェルス当局が公有地を売却するために測量をする必要があり、オードが測量士として雇われた。オードはリッチ・ハットンを助手に選び、二人で1849年7月と8月にロサンジェルスの地図を作成した。二人の努力のお陰で、歴史家達は19世紀半ばのロサンジェルスのプエブロがどのようなものであったかをかなり良く知ることができている。オード中尉はプエブロを測量し、助手のハットンはプエブロの多くのスケッチを描き、オードの測量に基づいて最初の地図を書き上げた。ロサンジェルス市文書保管庫はオードの測量に基づくハットンによって制作された原地図が残っている。オードはこの測量の仕事で3,000ドルを得た。 オードは太平洋岸北西部で勤務している間の1850年に大尉に昇進した。1854年10月14日、メアリー・マーサー・トンプソンと結婚し、13人の子供に恵まれた。 1859年、バージニア州モンロー砦の砲兵学校に通っている間に、アメリカ合衆国陸軍長官ジョン・ブキャナン・フロイドに招集されて、ジョン・ブラウンによるハーパーズ・フェリー襲撃事件を鎮圧するように言われた。しかし、ロバート・E・リー大佐が先にハーパーズ・フェリーに到着し、リーはオードに電報を打って、事態は平常に戻っておりオードとその部隊はハーパーズ・フェリーに来る必要がないと伝えた。オード達はボルティモアのマクヘンリー砦に留まるよう指示された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドワード・オード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|