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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エドワード・ガントレット(、1868年12月4日 - 1956年7月29日)は、イギリスのウェールズ出身の語学者、音楽家。1941年、日本に帰化。 == 来歴・人物 == ウェールズのスウォンジ生まれ。父親は英国国教会の牧師。大叔父に「ダビデの村に」を作曲したヘンリー・ガントレット。ロンドンの音楽学校に進学し、建築学、工学、美術等も学んだと言われる。20歳でアメリカに渡り、その後カナダに移り、教会に属し、そこの宣教師として1890年に来日、1919年から英語教師になる。東京商科大学、第六高等学校、山口高等商業学校などで英語・ラテン語などを教えるほか〔E.ガントレット氏と山口県, 1956. 山口県教育委員会〕、日本でのパイプオルガン普及、エスペラント語普及に努め、大きな足跡を残した。 日本メソジスト教会本郷中央会堂の聖歌隊を指導し、多くのすぐれた音楽家を育てた。東京行進曲を歌った佐藤千夜子もその一人である。〔守部喜雅『日本宣教の夜明け』いのちのことば社、2009年、55ページ〕 山口県秋芳洞を学術調査し、Royal Geographical Societyの会員として海外へ初めて紹介したことでも知られる〔Yorkshire Romber's Club Journal, vol.3, no.19, 1909.〕。また、山口県の長門峡の自然美を世に広める努力をした。 妻は山田耕筰の姉の山田恒(恒子)。ガントレット恒の名で日本キリスト教婦人矯風会の主力メンバーとして旺盛に活動した。二人の間には6人の子供がいた。長男のジョン・オーエン(進駐軍の教育部に技術顧問として勤務。英語に関する著書多数〔Owen Guntlette, Google books 〕)、長女フランセス(カナダ留学後帰国)、次女キャスリン(英国の修道院附属学校教師)、次男トレバー(記者)、三女ウィニー(旧華族の土井家に嫁ぎ、英語教師)、四女ベアトリス・エイミー(宣教師の夫とともに夫の故郷の南アフリカのヨハネスバーグや日本で教会活動)。日本に残った子孫にJackie, David, Saikoなど。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドワード・ガントレット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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