翻訳と辞書
Words near each other
・ エドワード・クック (陸上選手)
・ エドワード・クランシー
・ エドワード・クラーク
・ エドワード・クーパー (市長)
・ エドワード・グランヴィル・ブラウン
・ エドワード・グリーグ
・ エドワード・グリーン
・ エドワード・グレイ
・ エドワード・グレグソン
・ エドワード・グレン
エドワード・ケアード
・ エドワード・ケイヴ
・ エドワード・ケネディ
・ エドワード・ケネディ・エリントン
・ エドワード・ケネディ・ジュニア
・ エドワード・ケリー
・ エドワード・ゲイロード
・ エドワード・ゲイン
・ エドワード・コクソン
・ エドワード・ココイティ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エドワード・ケアード : ミニ英和和英辞書
エドワード・ケアード[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・ケアード : ウィキペディア日本語版
エドワード・ケアード[ちょうおん]
エドワード・ケアードEdward Caird, 1835年3月22日 - 1908年11月1日)は、イギリススコットランド哲学者神学者。イギリスにおけるヘーゲル主義者(観念論哲学)としてしられ、イギリス哲学の伝統といえる経験論に対向していった。当時、兄のジョン・ケアードと共にイギリスにおける観念論哲学研究の中心的な人物であった。
兄と同じくスコットランド中部・グリーノックの生まれ。グラスゴー大学オックスフォード大学ベリオール・カレッジで学ぶ。学士号授与試験では首席を取った。1864年から1866年までオックスフォードのメルトン・カレッジの講師に就いた。1866年にはグラスゴー大学の道徳哲学の教授に就任する。1893年、ベンジャミン・ジョウェット(当時のプラトニズム研究の第一人者)の後継として、オックスフォード大学教授に就任する。また、修士号を手にする。トーマス・ヒル・グリーンらと共に新ヘーゲル主義の代表的な人物になった。弟子たちを通じて、イギリスの哲学・神学に大きな影響を与えた。健康上の理由により1904年に講壇から去り、1906年には引退し、ジェームズ・リー・ストラッチャン・デビッドソンに受け継がれた。1892年にD.C.L.(古典文学博士)の名誉学位を受け取る。英国学士院フランス学士院(政治学・道徳学)のメンバーでもあった。
== 著作 ==

*カントの哲学(1878年)
*カントの批判哲学(1889年)
*ヘーゲル(1887年)
*コントの宗教と社会哲学(1885年)
*哲学と文学のエッセー集(1892年)
*宗教の発展(ギフォード講義の講演録、1891年-1892年)
*ギリシア哲学者の神学の発展(1904年)
他、百科事典のデカルト主義についての項目を執筆していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・ケアード」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.