翻訳と辞書
Words near each other
・ エドワード・クランシー
・ エドワード・クラーク
・ エドワード・クーパー (市長)
・ エドワード・グランヴィル・ブラウン
・ エドワード・グリーグ
・ エドワード・グリーン
・ エドワード・グレイ
・ エドワード・グレグソン
・ エドワード・グレン
・ エドワード・ケアード
エドワード・ケイヴ
・ エドワード・ケネディ
・ エドワード・ケネディ・エリントン
・ エドワード・ケネディ・ジュニア
・ エドワード・ケリー
・ エドワード・ゲイロード
・ エドワード・ゲイン
・ エドワード・コクソン
・ エドワード・ココイティ
・ エドワード・コッチ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エドワード・ケイヴ : ミニ英和和英辞書
エドワード・ケイヴ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・ケイヴ : ウィキペディア日本語版
エドワード・ケイヴ[ちょうおん]

エドワード・ケイヴ(Edward Cave、1691年2月27日 - 1754年1月10日)は、イギリスの印刷業者、編集者にして出版業者。「ザ・ジェントルマンズ・マガジン」(The Gentleman's Magazine)という、今日的な意味での世界最初の雑誌を発刊したことで知られている。
ケイヴは、靴屋の息子として、ウォリックシャーラグビーの近郊、ニュートンに生まれ、そこのグラマー・スクールに学んだ。しかし、彼は校内での盗みを校長から厳しく糾弾され、挙句の果てに放校処分になった。その後彼は材木商、記者、印刷屋などといった様々な仕事を経験する。そこで彼は、教育を受けた人たちが興味を持つような話題を、商売から文学に至るまで毎日トピックスを掲載する雑誌を出して見てはどうだろうかと思いつき、ロンドンの印刷屋や本屋にやってみないかと打診した。しかしだれも興味を示さなかったので、ケイヴは自分自身で手掛けることにした。「ザ・ジェントルマンズ・マガジン」は、1731年に発刊され、瞬く間に当時もっとも影響力のある、そしてもっとも模倣された雑誌となった。この雑誌はケイヴにも大きな財産をもたらした。
ケイヴは、目先の効く商売人でもあった。彼は全精力を雑誌に傾注し、クラ―ケンウェルのセント・ジョンズ・ゲイトにあった彼の事務所をほとんど空けるということはなかった。彼は数多くの寄稿者を使い、その中でも最も有名だったのが、かのサミュエル・ジョンソンである。ジョンソンは、常に長年にわたり彼の主たる雇用主となってくれたケイヴに感謝していた。またケイヴは、自分でも''シルバヌス・アーバン''の名で、雑誌にいくつかの記事を寄稿していた。
彼は、ルイス・ポールから、250台の軸紡績機(roller-spinning machine)のための免許を取得している。これは、水紡績機の前身である。1742年、彼はノ―ザンプトンの大理石の加工工場を買収し、これを綿紡績工場に作り替えた。これがおそらく世界初の水力による紡績工場だと思われる。この工場はおそらく利益が上がったものと思われるが、「ごく控えめに言って利益が出る」といったレベルのものであった。この工場は1761年(あるいは、それ以後間もなく)閉鎖された。
ケイブは痛風を患っており、1754年に死去。クラ―ケンウェルのセント・ジェームス教会に埋葬された。
== 外部リンク ==

* Online page images of Gentlemen's Magazine the first twenty volumes, from v1 1731 through v20 1750
* Daily Life in Georgian England as Reported in the Gentleman's Magazine
* 雄松堂・愛書家の所蔵書紹介『ジェントルマンズ・マガジーン』
* 早稲田大学図書館No.13(1988.2.15)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・ケイヴ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.