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エドワード・スタイケン(Edward Steichen, 1879年3月27日 - 1973年3月25日)は、アメリカ合衆国の写真家。また画家でもあり、美術館・ギャラリーのキュレイターでもあった。 1902年には、アルフレッド・スティーグリッツらとともに、フォト・セセッションを結成し、ピクトリアリスム作品で名を成す。1911年に「Art et Decoration」誌に掲載されたスタイケンの写真は、ファッション写真の草分けとして知られる。その後も「ヴォーグ」誌・「ヴァニティ・フェア」誌などで活躍し、ファッション写真の黎明期を代表する写真家となる。あわせて、ポートレートの分野においても有名。また、1944年に製作したドキュメンタリー映画『The Fighting Lady』で、翌年度のアカデミー賞を受賞している。 単なる写真家としての活動にとどまらず、1947年にはニューヨーク近代美術館のディレクター(写真部門)に就任。後世まで大きな影響を与える写真展「ファミリー・オブ・マン」展を企画・開催する(1955年)ことなどにより、写真の普及にも尽力・貢献した。 ==生涯== ===生い立ち=== ルクセンブルクに、父、ジャン=ピエール、母、マリー・ケンプの子として生まれる〔Niven, Penelope (1997). ''Steichen: A Biography''. New York: Clarkson Potter. ISBN 0-517-59373-4, p. 4〕。2歳の時、家族とともにアメリカ合衆国・イリノイ州シカゴに移住する〔Niven, Penelope (1997). ''Steichen: A Biography''. New York: Clarkson Potter. ISBN 0-517-59373-4, p. 6〕。家族には他に妹のリリアンがおり、彼女は後に詩人のカール・サンドバーグと結婚した。一家はエドワードが10歳の時に、ウィスコンシン州ミルウォーキーに移る〔Gedrim, Ronald J. (1996). ''Edward Steichen: Selected Texts and Bibliography'' Oxford, UK: Clio Press. ISBN 1-85109-208-0, p. xiii〕。15歳で石版工見習いとなり、その後独学で絵画を学ぶ〔Niven (1997), p. 28〕。さらに仕事場の近くにカメラ屋があったことから、写真にも興味を抱くようになる。16歳の時に初めて買ったカメラは、コダックのボックスカメラの中古品であった〔Niven (1997), p. 29〕。やがて、同じように絵画と写真に興味を持つ友人達と、ミルウォーキーのオフィスビルの小さな部屋を借り、美術サークルを結成した〔Niven (1997), p. 42〕。1900年にアメリカに帰化。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドワード・スタイケン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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