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エドワード・モース : ミニ英和和英辞書
エドワード・モース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・モース ( リダイレクト:エドワード・S・モース ) : ウィキペディア日本語版
エドワード・S・モース[えどわーどえすもーす]

エドワード・シルヴェスター・モースEdward Sylvester Morse1838年6月18日 - 1925年12月20日)は、アメリカの動物学者。標本採集に来日し、請われて東京大学お雇い教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発掘した。日本に初めて、ダーウィン進化論を体系的に紹介した。名字の「モース」は「モールス」とも書かれる。
== 生涯 ==
メイン州ポートランドに生まれた。高校は入退学を繰り返し、製図工の勤めも長続きしなかったが、13歳ごろから採集し始めた貝類の標本は、学者が見学にくるほど充実していた。1854年、18歳で博物学協会に入会し、1857年に新種のカタツムリを協会誌上に報告した。
ダーウィンの『種の起源』が出版された1859年から2年余、貝類研究の縁で、ハーバード大学ルイ・アガシー教授の学生助手を務める。アガシーの教授を受ける中で、アガシーが腕足類擬軟体動物に分類していたのを疑問に思ったのが、腕足類研究を思い立ったきっかけであった〔石川千代松「嗟呼モールス先生」 東京人類学会『人類学雑誌』第41巻第2号 1926年〕。アガシーやジェフェリーズ・ワイマン(Jefferies Wyman)の講義を聴き、ワイマンの貝塚発掘にも関係した。生物学界に人脈も作った。1863年にエレン・エリザベス・オーウェン(Elen Elizabeth Owen)と結婚。
講演にたけ、その謝礼金が生活を助けた。1867年、ジョージ・ピーボディ(George Foster Peabody)の寄付を得て、3人の研究仲間とセイラムに『ピーボディー科学アカデミー』(1992年以降のピーボディ・エセックス博物館)を開き、1870年まで軟体動物担当の学芸員を務めた。1868年、セイラムに終生の家を構えた。
1871年、大学卒の学歴が無いにもかかわらず、31歳でボードイン大学(Bowdoin College)教授に就任し、ハーバード大学の講師も兼ねながら、1874年までボードイン大学で過ごした。1872年からアメリカ科学振興協会の幹事になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・S・モース」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Edward S. Morse 」があります。




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