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エドワード・ダンロップ(''Edward Alexander Leeper Dunlop''、1968年10月20日- )は、イギリスの競走馬の調教師。通称エド(''Ed'')〔エリザベス女王杯出走予定外国馬プロフィール 2010-11-09閲覧〕。父は調教師のジョン・ダンロップ。 ==来歴== ニッキー・ヘンダーソン厩舎の調教助手を3年間務めた後、アレックス・スコット厩舎の調教助手となる。1994年、スコットが元従業員に射殺されたため、エドワードはマクトゥーム・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームのバックアップを受けて厩舎を引き継ぎ、開業した〔「週刊競馬ブック」2011年2月6日号 p.196〕。 1996年、5月12日にターリブ(Ta Rib)でプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)を勝ち、G1初制覇。9月7日、イクタマル(Iktamal)でスプリントカップを勝ち、イギリスG1初制覇。 2004年、ウィジャボード(Ouija Board)がブリーダーズカップ・フィリー&メアターフなどG1を3勝。同馬はカルティエ賞年度代表馬・最優秀3歳牝馬、エクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた。 2005年、11月27日のジャパンカップにウィジャボードが出走。管理馬の日本初出走を果たす。レースは日本レコードの2分22秒1というタイムで決着し、ウィジャボードは勝ったアルカセット(Alkaased)から0.3秒差の5着に敗れた。次走、12月11日の香港ヴァーズには勝利し、香港G1初制覇を果たした。これが7ヶ国目のG1制覇である。 2006年、ウィジャボードが再びブリーダーズカップ・フィリー&メアターフなどG1・3勝を挙げ、カルティエ賞年度代表馬・最優秀古馬牝馬、エクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた。 2010年、11月14日にスノーフェアリー(Snow Fairy)でエリザベス女王杯を優勝。日本での初勝利と共に8ヶ国目のG1制覇を果たしたが、その後検量を、調教助手が馬装具の一部を外して行っていたことが発覚し、11月17日に日本中央競馬会より厳重注意処分を受けた〔前例なし…スノーフェアリー関係者に「厳重注意」(競馬) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース 2010-11-18閲覧〕。 2011年、11月13日にスノーフェアリーでエリザベス女王杯を連覇。1頭の外国馬が日本の平地GIを2勝したのはこれが初めてのことである。 2012年、8月19日にスノーフェアリーでジャンロマネ賞を優勝。しかしその後の薬物検査で禁止薬物が検出されたため、スノーフェアリーは失格となった〔スノーフェアリー、禁止薬物検出で仏G1失格:競馬:スポーツ報知 2012-12-06閲覧〕。 ウィジャボードを初め活躍馬に牝馬が多く、牝馬クラシックでは4頭で6勝を挙げているのに対し、牡馬クラシックではまだ1勝もしていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドワード・ダンロップ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ed Dunlop 」があります。 スポンサード リンク
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