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エフゲニー・カフェルニコフ : ミニ英和和英辞書
エフゲニー・カフェルニコフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エフゲニー・カフェルニコフ : ウィキペディア日本語版
エフゲニー・カフェルニコフ[ちょうおん]

エフゲニー・カフェルニコフ(、1974年2月18日 - )は、ロシアソチ出身の元男子プロテニス選手。1996年全仏オープン1999年全豪オープンに優勝し、ロシアのテニス選手として最初の4大大会優勝者になった選手である。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス4位。ATPツアーでシングルス26勝、ダブルス27勝を挙げた。カフェルニコフは強力なグラウンド・ストロークを軸とするオールラウンド・プレーヤーで、ハードコート、クレーコート、芝生コートのすべてのサーフェスを得意とした。
==選手経歴 ==
1992年にプロ転向。1994年にツアーでシングルス3勝、ダブルス4勝を記録し、その頃から急成長を始める。1996年全仏オープン4大大会初優勝を達成。決勝戦でドイツミヒャエル・シュティヒを 7-6, 7-5, 7-6 のストレートで破り、ロシア人のプロテニス選手として最初の4大大会シングルス優勝者に輝いた。それから3年後、1999年全豪オープンでは第10シードから勝ち進み、決勝戦でトーマス・エンクビストスウェーデン)を 4-6, 6-0, 6-3, 7-6 で破り、4大大会シングルス2勝目を挙げた。しかし翌年の2000年全豪オープン決勝ではアンドレ・アガシに敗れ、大会2連覇を逃した。2000年シドニー五輪で男子シングルスの金メダルを獲得した時は、決勝でドイツ代表のトミー・ハースを 7-6, 3-6, 6-2, 4-6, 6-3 のフルセットで破っている。
カフェルニコフはダブルスでの活躍も目覚ましく、全仏オープンの男子ダブルスで1996年1997年2002年の3勝を挙げ、1997年には全米オープンの男子ダブルスでも優勝し、通算「4勝」を挙げた。それから5年後、2002年全仏オープン男子ダブルスではオランダのベテラン選手、ポール・ハーフースと組んで3度目の優勝を飾った。しかし、現役最後の年となった2003年全仏オープン男子ダブルスで、カフェルニコフとハーフースの組はアメリカボブ・ブライアン&マイク・ブライアン組(双子の兄弟のペア)に敗れて連覇を逃した。
2003年10月以降大会に出場せず、2004年11月に正式に引退を表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エフゲニー・カフェルニコフ」の詳細全文を読む




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