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エフゲニー・シャポシニコフ : ミニ英和和英辞書
エフゲニー・シャポシニコフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エフゲニー・シャポシニコフ : ウィキペディア日本語版
エフゲニー・シャポシニコフ[ちょうおん]

エフゲニー・イワノヴィチ・シャポシニコフ〔ラテン文字転写の例:''Evgenii Ivanovich Shaposhnikov''〕、1942年2月3日 - )は、ソビエト連邦およびロシア軍人政治家。ソビエト連邦の最後の国防相。航空元帥''〔ラテン文字転写の例:''Evgenii Ivanovich Shaposhnikov''〕、1942年2月3日 - )は、ソビエト連邦およびロシア軍人政治家。ソビエト連邦の最後の国防相。航空元帥
== 経歴 ==
ロストフ州に生まれる。1945年父イワンは、ソ連陸軍軍曹独ソ戦に出征し、戦争終結の一週間前に戦死している。
1959年ソ連軍に入隊。1963年共産党入党。1963年ハリコフ高等航空飛行学校卒業。1969年ガガーリン名称空軍アカデミー(空軍大学)卒業。1984年ソ連軍参謀大学卒業。1985年オデッサ軍管区空軍司令官。1987年東ドイツ駐留ソ連軍空軍司令官。1988年ソ連空軍第一副総司令官。1990年7月ソ連空軍総司令官兼国防次官、ソ連共産党中央委員。
1991年8月のクーデターでは、国家非常事態委員会のメンバーとしてクーデターに関与したドミトリー・ヤゾフ国防相に出動を命令されるが、空挺軍のパーヴェル・グラチョフ総司令官(後、ロシア連邦国防相)と相談の上、上官であるヤゾフ国防相に抗命する。クーデター失敗後、ゴルバチョフによって国防相に任命され、航空元帥に昇進したが、ソ連共産党を離党した。参謀総長にはウラジーミル・ロボフ上級大将が任命され、シャポシニコフ=ロボフのコンビは、ソ連軍改革に取り組もうとしたが、その矢先、ソ連崩壊に遭遇する。
ソ連崩壊後、1992年2月から1993年6月まで、CIS(独立国家共同体)合同軍総司令官に就任し、核兵器などの戦略兵器の管理に当たる。
合同軍解散後は、1993年6月ロシア連邦安全保障会議書記。1993年9月駐ニュージーランド大使。1994年1月国営兵器輸出会社ロスヴォオルジェニエ大統領代表。1997年3月ロシア大統領顧問、補佐官。1995年10月アエロフロート社長などを歴任した。
演劇を好む。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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