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エフティマイアとは日本の元競走馬である。2007年の新潟2歳ステークスを制し桜花賞、優駿牝馬で2着となった。馬名は馬主の家族のイニシャル「FT」に当馬の祖母であるノーザンマイアのマイアから名付けられた。セレクトセールでの落札価格は840万円だった。 == 経歴 == === 戦績 === 2007年6月24日に福島競馬場で行われた2歳新馬戦でデビュー。このレースを優勝すると7月21日のマリーゴールド賞、9月2日の重賞新潟2歳ステークスも優勝し3連勝を飾った。その後11月から翌2008年2月にかけて5戦したが最高着順が5着、JpnIの第59回阪神ジュベナイルフィリーズでは18頭中17着と成績は低迷を続けた。 2008年2月をもってそれまでエフティマイアを管理していた矢野進が定年により調教師を引退し、3月1日付で鹿戸雄一厩舎へ転厩した。鹿戸は前年の11月から休みなくレースを使っていたエフティマイアの疲労を取り除くことに専念し、ステップレースに出走させることなくJpnIの桜花賞に出走させた。このレースでエフティマイアの人気は15番人気と低かったが、優勝馬レジネッタから半馬身差の2着となった。続いて出走した優駿牝馬でも人気は13番人気と低かったがまたしても2着に好走した。桜花賞と優駿牝馬で好走した要因について鹿戸は、「厩舎が変わったことによる刺激が良い方に作用した」と述べている〔「08年エフティマイア再浮上の奇跡」(『サラブレ 2009年4月号』27頁。〕。 3ヶ月の休養を挟んでクイーンステークスに出走したが、休み明けで馬体重が24kgも増加していたせいか、5着に敗れ、レース後はノーザンファームへ放牧に出された。帰厩後はトライアル競走を使わずに秋華賞へ直行。蛯名騎手が騎乗停止のため吉田隼人騎手が騎乗した。中団6番手あたりを追走し、最後の直線では一時3番手に上がったが、伸びきれず5着に敗れた。続くエリザベス女王杯では蛯名騎手が再び騎乗したが、13着と大敗した。 2009年は朱鷺ステークスから復帰。後方から追い込んでくるものの届かず3着に敗れた。続く京成杯オータムハンデキャップでは11着、府中牝馬ステークスでは13着、アルゼンチン共和国杯では16着と3戦続けて2桁着順に終わった。 2010年は7月11日の巴賞から戦列復帰、先団追走も直線で失速しブービーの15着と大敗した。続く関屋記念では好位中団を追走するも直線ではまったく伸びず14着に敗れた。その後、9月9日付でJRA競走馬登録を抹消され現役を引退した。現在は生まれ故郷のノーザンファームにて繁殖牝馬となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エフティマイア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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