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エフロシニヤ・ヤロスラヴナ : ミニ英和和英辞書
エフロシニヤ・ヤロスラヴナ[らヴ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラヴ : [らヴ]
 【名詞】 1. love 2. (n) love

エフロシニヤ・ヤロスラヴナ : ウィキペディア日本語版
エフロシニヤ・ヤロスラヴナ[らヴ]

エフロシニヤ・ヤロスラヴナ(、、生没年不明)はノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリの妻であり、『イーゴリ軍記』には「ヤロスラヴナ」として登場する12世紀後半の人物である。『イーゴリ軍記』中の一場面である「ヤロスラヴナの嘆き」は、作品中最も詩的な場面と評されている。
==生涯==
年代記には、イーゴリの妻であるこの人物の名は記されておらず、正確な生没年も不明である。エフロシニヤという名は、エカテリーナ2世の『系譜』の中の記述によるものである〔Родословник князей великих и удельных рода Рюрика. — СПб., 1793. — С. 105.〕。またA.ソロヴヨーフの説によれば、その名は『リューベチ・シノディク(ru)』の記述に端を発するという〔Соловьев А. В. Восемь заметок к «Слову о полку Игореве» // ТОДРЛ. — М.; Л., 1964. — Т. 20. — С. 378—382.〕。一方O.トヴォロゴフは、エフロシニヤという名は、その母のオリガ修道名が誤って用いられているという仮説を述べている〔 Творогов О. В. На ком был и женаты Игорь и Всеволод Святославичи? // ТОДРЛ. — М., 1993. — Т. 48. — С. 48—49.〕。
エフロシニヤはガーリチ公ヤロスラフと、その妻オリガ(ユーリー・ドルゴルーキーの娘)との間に生まれた。ノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリとの結婚は1169年ごろであるとされるが、いくつかの史料では、エフロシニヤはイーゴリの二人目の妻であり、その結婚は1184年と記されている。この日付はエカテリーナ2世の『系譜』を典拠としたものである。A.ソロヴヨーフは、イーゴリの子たち全ての母はエフロシニヤであり、長子のウラジーミルは1171年に誕生しているため、1184年に結婚したという説は成り立たないということを証明した。
エフロシニヤは『イーゴリ軍記』の一場面である「ヤロスラヴナの嘆き」によって有名である。「ヤロスラヴナの嘆き」は作中最も詩的な場面であり、ロシア文学に大きな影響を与えた。また、ヴァシリー・ペロフによる絵画「ヤロスラヴナの嘆き」や、作曲家ボリス・ティシチェンコによるバレエ「ヤロスラヴナ」の題材になるなどしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エフロシニヤ・ヤロスラヴナ」の詳細全文を読む




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