翻訳と辞書
Words near each other
・ エベルハルト
・ エベルハルト・ケルナー
・ エベル・エルナンデス
・ エベル・バネガ
・ エベレ
・ エベレスト
・ エベレスト (曖昧さ回避)
・ エベレスト 3D
・ エベレスト南峰
・ エベレスト大量遭難
エベレスト委員会
・ エベレスト山
・ エベレット
・ エベレット (ワシントン州)
・ エベレット・エディ
・ エベレット・ギャリソン
・ エベレット・スコット
・ エベレット・ダークセン
・ エベレット・ティーフォード
・ エベレット・ブラッドリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エベレスト委員会 : ミニ英和和英辞書
エベレスト委員会[えべれすといいんかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

レスト : [れすと]
 【名詞】 1. rest 2. (n) rest
委員 : [いいん]
 【名詞】 1. committee member 
委員会 : [いいんかい]
 【名詞】 1. committee meeting 2. committee 
: [いん]
  1. (n,n-suf) member 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

エベレスト委員会 : ウィキペディア日本語版
エベレスト委員会[えべれすといいんかい]
エベレスト委員会(エベレストいいんかい、''The Mount Everest Committee'')は1920年にイギリスで王立地理学会英国山岳会エベレスト遠征隊の組織と資金援助を目的に共同で設立した委員会。1947年まで活動した後「ヒマラヤ委員会」(Joint Himalayan Committee)に形を変えて活動を継続し、1953年のイギリス隊によるエベレスト初登頂を成し遂げるにいたった。
==設立==
英国でエベレストへの登頂が初めて具体的に語られたのはいつか?クリントン・トマス・デント(Clinton Thomas Dent)は1885年に著作の中でエベレスト登頂の可能性に言及している。具体的な計画ということでは1916年にアレキサンダー・ケラス博士(Alexander Mitchell Kellas)が著した『ヒマラヤ雄峰への登頂の可能性に関する考察』をあげることができる。さらに実際に遠征隊派遣の機運が高まった直接のきっかけは、1919年ジョン・ノエル(John Baptist Lucius Noel)が王立地理学協会で行った講演である。ノエルは外国人が入ることが許されなかったエベレスト周辺地域を秘密裏に探索し、その報告を王立地理学協会で行ったのだ。講演後のディスカッションの中でエベレスト登頂に関する議論が盛り上がったが、この考えを積極的に支持した人の中にはフランシス・ヤングハズバンド卿やダグラス・フレッシュフィールド(Douglas Freshfield)など英国山岳会の大物たちがいた。
1920年、ヤングハズバンド卿は、チャールズ・ハワード=ベリー大佐に遠征隊長就任を要請し、チャールズ・ベル(Charles Alfred Bell)に入山交渉の許可を得る為のチベット当局との交渉を依頼した。(当時は北側のチベットからしかエベレストに接近できなかった。エベレスト南側のルートを領するネパールが外国人に対して国を閉ざしていたためである。)チベットから入山許可が得られたのは1921年のことであった。
ここで、遠征隊をバックアップするために英国山岳会と王立地理学協会がメンバーを出し合って特設委員会である「エベレスト委員会」を発足させ、ヤングハズバントが委員長になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エベレスト委員会」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.