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エマ・リヴリー : ミニ英和和英辞書
エマ・リヴリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エマ・リヴリー : ウィキペディア日本語版
エマ・リヴリー[ちょうおん]

エマ・リヴリーEmma Livry1842年12月24日〔Babsky, Monique, "Emma Livry", ''International Encyclopedia of Dance'', vol.4, p.214, ISBN 0-19-517588-3〕 - 1863年7月26日)は、フランスバレエダンサーである。
== プロフィール ==
本名はエマ=マリー・エマロ (Emma-Marie Emarot)といい、1842年にパリで母セレスティーヌ (Célestine Emarot) と父シャルル・ド・シャシロン男爵 (Charles de Chassiron) の間に非嫡出子として誕生した。
母はパリ・オペラ座のバレエダンサーで、リヴリーも幼いときからパリ・オペラ座バレエ学校の著名な教師マダム・ドミニク(Mme Dominique)〔マダム・ドミニクは、リヴリーと同じく夭折したジュゼッピーナ・ボツァッキの教師でもあった。〕のもとでバレエを学んだ。
実父の男爵は母子を見捨ててしまったが、母セレスティーヌは新たなパトロンのモンギヨン(Vicomte Ferdinand de Montguyon)の援助を受け、その後ろ盾によって1858年、リヴリーは15歳の時に 『ラ・シルフィード』 のシルフ役で舞台デビューを果たした。その才能は広く認められ、彼女にバレリーナとしての名声をもたらした。
モンギヨンは一世を風靡した名バレリーナ、マリー・タリオーニにリヴリーを紹介した。タリオーニはこの少女の才能に注目し、彼女の指導者となった。タリオーニはリヴリーに 『パピヨン』 (ジャック・オッフェンバック作曲、1860年)を振り付けた。この作品はタリオーニの唯一の振付作品でもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エマ・リヴリー」の詳細全文を読む




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