|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 島 : [しま] 【名詞】 1. island ・ 無 : [む] 【名詞】 1. nothing 2. naught 3. nought 4. nil 5. zero ・ 無血 : [むけつ] (n) bloodless ・ 血 : [けつ, ち] 【名詞】 1. blood 2. consanguinity ・ 占領 : [せんりょう] 1. (n,vs) occupation 2. capture 3. possession 4. have a room to oneself
エミラウ島の無血占領(エミラウとうのむけつせんりょう)とは、太平洋戦争での島嶼をめぐる戦闘の一つであり、ダグラス・マッカーサー陸軍大将が進めていた日本軍の主要基地の一つであるラバウルへの包囲網構築の最終戦として行われた。1944年(昭和19年)3月20日にエミラウ島へアメリカ海兵隊が上陸したものの島に日本軍はおらず、負傷者1名を出したのみで無血占領という形により戦いは終わった。エミラウ島の確保によって連合軍は同島に航空基地を設営し、ラバウルとカビエンに対する包囲網を完成させた。このことにより、マッカーサー指揮下のニューギニア方面の連合軍はニューギニア島北岸への進撃を本格化させることとなった。 ==背景== 1943年2月、マッカーサーは統合参謀本部に対し、日本の牙城であったラバウルの取り扱いに関する「エルクトン・プラン」〔「エルクトン」は、結婚手続きが手っ取り早くできるメリーランド州に由来する(#ニミッツ、ポッター p.197)。〕を提出。このプランにおいては当初、最後から二番目の位置にラバウルとトラック諸島間の航空機輸送拠点としても活用されていたカビエンの奪取が計画されていた。つまり、カビエンを奪取すればラバウルは遠からず枯れるであろうという目論見であった〔#Hayes pp.312-313〕。さらに、1944年2月末からのアドミラルティ諸島の戦いの行く末が連合軍の勝利で見えてきたことは、統合参謀本部に太平洋戦線での進撃の速度を速める検討に入らせることをも意味していた。そこで統合参謀本部は戦域司令官を招集し、今後の目標に関して意見を募ることとなった。 3月5日、において奪取した日本側の暗号書を検討したマッカーサーは、日本軍の攻撃意図や計画について記されていた暗号書の裏をかくこととし、当初攻略目標として挙げられていたを当面はパスしてホーランジアを攻略することを勧告した〔#Drea pp.104-105〕。しかし、ホーランジアは指揮下の航空軍の勢力圏からは外れていたので、マッカーサーは太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ海軍大将に、マヌス島とカビエンへの上陸作戦支援のために貸し出す予定の高速空母任務部隊の派遣を要請するが、ニミッツは中部太平洋方面での作戦進行に支障が出るとして派遣に難色を示し、またカビエンの攻略にも反対した。最終的には統合参謀本部の裁定により、4月15日を期したホーランジアの攻略開始とカビエン占領計画の取り消しが決まった〔#Hayes pp.554-556〕。 マッカーサーの参謀長であるリチャード・サザランド陸軍中将は統合参謀本部の決定が出る前からカビエンの攻略に意欲的であり、当初は5月1日に定めてあった作戦開始予定日を4月1日に繰り上げて進める予定だったカビエン攻略が取り消しになったことに不満であった。しかし、カビエンの脅威がいかほどのものかについては議論の余地があり、またニミッツはトラック島空襲とエニウェトクの戦いの結果、ラバウルへの増援は今後断ち切られるであろうと読んでいた。3月12日、マッカーサーとニミッツは「フォアアーム」との作戦暗号名を付されていたカビエン攻略計画を、「最小限の力でラバウルとカビエンの孤立を完成させる」作戦計画に切り替えることで合意した〔#Hayes pp.558-559〕。カビエンの攻略に関しては南太平洋軍(第3艦隊)司令長官ウィリアム・ハルゼー海軍大将も気乗り薄であり、ハルゼーの意見でもラバウルとカビエンは航空機の傘があれば十分無力化できると確信していた〔#ポッター pp.422-423〕。マッカーサーはハルゼーに対してエミラウ島確保のための戦力抽出を要請し、これを受けてハルゼーはセオドア・S・ウィルキンソン少将率いる第3両用戦部隊に3月20日を期してエミラウ島を確保するよう命じた〔#Miller p.380〕〔#ポッター p.429〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エミラウ島の無血占領」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|