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エミリー・カーメ・ウングワレー(Emily Kame Kngwarreye、1910年頃-1996年9月2日)は、オーストラリアの画家。アボリジニのアンマチャリー族の管理者でもある〔『エミリー・ウングワレー展』16頁。〕。 正規の美術教育を受けたことは一度もなく、学校にすらいったことがなかったが、70歳を過ぎてから絵を描き始め、死去するまでの8年間に3000点以上の絵画作品を残した〔『エミリー・ウングワレー展』16~17頁。〕。 ==経歴== 正確な出生記録はわかっていないが、1910年頃にアボリジニの集落に生まれたとされる。1930年代から1940年代にかけて2度結婚している。1度目の結婚相手はアボリジニの伝統にしたがって決定された相手であったが、2度目には恋愛結婚しており、これはアボリジニの慣習には反したものだった。〔『エミリー・ウングワレー展』242頁。〕 エミリーは、アウェリェと呼ばれる故郷への敬意を表すための儀式の際に、砂の上や女性の体に絵や模様を描いていた(いわゆるボディペインティング)〔『エミリー・ウングワレー展』97頁。〕。のちにこれの影響がみられる絵を残している。 1977年、牧場で長く暮らしてきた人たちに車の運転や文字の読み書きなどを教える政府の教育プログラムが行われる。美術・工芸のワークショップもあり、これがエミリーが芸術家となるきっかけとなった。〔 1977年からろうけつ染めで作品を制作するようになる〔。1988年から1989年頃からはカンヴァスに描くようになった〔『エミリー・ウングワレー展』17頁。〕。その最初の作品が「エミューの女」である。 1991年末から1993年末頃にかけて、豊かな色彩の作品を多く制作した〔『エミリー・ウングワレー展』149頁。〕。特に「大地の創造」はオークションで100万ドルを越える値段がついた。 1996年9月2日、アリス・スプリングスで死去〔『エミリー・ウングワレー展』243頁。〕。死の2週間ほど前の3日間で、一気に24枚の絵を描いている。これらの作品はそれまでに彼女が描いてきた作品とは違った雰囲気を持ち、点や線をいっさい用いることなく、ハケを使って明るい色で描かれている。〔『エミリー・ウングワレー展』209頁。〕 生まれてから死ぬまでほとんどの時間を故郷アルハルクラで過ごし、オーストラリア国外へ出ることは一度もなかった〔『エミリー・ウングワレー展』16頁。〕。アボリジニには、死後一定の期間は死者の名前を口にしてはならないというならわしがあったため、しばらく名前が伏せられていた時期があった〔『エミリー・ウングワレー展』冒頭の文章より。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エミリー・カーメ・ウングワレー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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