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エミール・アンリオ : ミニ英和和英辞書
エミール・アンリオ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エミール・アンリオ : ウィキペディア日本語版
エミール・アンリオ[ちょうおん]

エミール・アンリオ〔「アンリオー」の表記揺れがあるが、本項目では「アンリオ」で統一する。〕(フランス語:Emile Henriot1889年3月3日 - 1961年4月14日)は、フランスパリ出身の詩人小説家批評家1957年5月22日付けの『ル・モンド』誌上の評論において、第二次世界大戦後のフランスで発表された前衛的な小説作品群を形容した「ヌーヴォー・ロマン」と言う言葉を造語したことで知られる。
1924年に『アリシーまたは市民的美徳(''Aricie Brun ou les Vertus bourgeoises'')〔訳者によっては『アリシー・ブラン』とも。〕』でアカデミー・フランセーズ賞を受賞している。
== 生涯 ==
1889年3月3日、フランスのパリに著名な漫画家だったの元に生まれる。第一次世界大戦第二次世界大戦の時はジャーナリストとして1911年頃から廃刊になる1942年まで『』(フランス語で「時間」)に多くの批評を発表していた。
1906年に著された憂愁を帯びた楽天性が特徴的な最初の詩集『シルヴィに捧げる詩(''Poèmes à Sylvie'')』を発表し、詩人としても活動した。小説家としては1924年に著された『アリシーまたは市民的美徳(''Aricie Brun ou les Vertus bourgeoises'')〔訳者によっては『アリシー・ブラン』とも。〕』で同年のアカデミー・フランセーズ賞を受賞した。また、評論家として1922年から晩年まで著された全10巻からなる膨大の『文学通信(''Courrier littéraire'')』はアンリオの広い教養が見られ、柔軟な思考を合わせ示している作品である。『文学通信』はアンリオが『ル・モンド』誌などに寄せた約2000編の書評を纏めたもので、ラテン文学フランス文学史に仕上げた読み物である〔アンリオ(アンリオ)とは - コトバンク、2015年10月16日閲覧。〕。
『ル・タン』の廃刊後は『ル・モンド』の常任書評家として活躍し、1957年5月22日付けの『ル・モンド』誌上の評論において、「ヌーヴォー・ロマン」と言う言葉を造語したことで知られる。
同国の劇作家の後を受けて1945年から1961年までアカデミー・フランセーズ第14代の席次9となる。なおアンリオの次の会員は同国の作家であった。
1961年4月14日にパリで亡くなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エミール・アンリオ」の詳細全文を読む




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