|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エメリヤーエンコ・アレキサンダー(Emelianenko Alexander、男性、1981年8月2日 - )は、ロシアの総合格闘家。ロシア連邦共和国ベルゴロド州出身。AE Team所属。ウクライナ出身の両親の元に生まれ、国籍はロシアだが、民族的にはロシア人ではなく、ウクライナ人である。 エメリヤーエンコ・ヒョードルの実弟。兄(182cm)を大きく上回る巨体(198cm)に、高いボクシングテクニックと身体能力を併せ持つ。序盤からアグレッシブに攻め込むファイトスタイルで、KO率も高い。ヒョードルも「近い将来、サーシャ(アレキサンダーの愛称)が一番の脅威となるであろう」と話す。 なお、兄ヒョードルと同様日本での表記は母国ロシアと逆で姓・名の順となる。 == 来歴 == 2003年、コマンドサンボ世界選手権アブソリュート級優勝、アマチュア・サンボ公式戦戦績10勝無敗の堂々の戦績があるが、それ以前の経歴に関しては、刑務所に収監されていたため、公式上は白紙である。 2003年10月5日、総合格闘技デビュー戦となったPRIDE 武士道でアスエリオ・シウバと対戦し、苦戦したものの終始試合をコントロールし僅差の判定勝ち。デビュー戦を白星で飾る。 2004年8月15日、PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦でミルコ・クロコップと対戦し、左ハイキックでKO負け。「この敗戦は怒りを覚えるほど悔しかった」と本人が話すようにこの敗戦を機に、練習に対する姿勢を改め、ヒョードルに従いトレーニング内容も高度なものをこなすようになった。結果、以前よりも身体が絞り込まれ、スパーリングパートナーも驚くほどに立ち技が上達したと言う〔【PRIDE武士道】4.3 ヒョードル&アレキサンダーが意気込みを語る GBR 2005年3月9日〕〔ヒョードル&アレキサンダー兄弟が来日 PRIDE公式サイト 2005年4月1日(Internet Archive)〕。 2004年10月9日、M-1でのカーロス・バヘット戦では判定勝利。その後ジェームス・トンプソン、ヒカルド・モラエス、レネ・ローゼといった巨漢との試合が続くも、すべての試合を30秒かからずKO勝利した。 2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005でオリンピック柔道金メダリストのパウエル・ナツラと対戦し、スリーパーホールドで一本勝ちを収めた。 2006年5月5日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦のGP1回戦でジョシュ・バーネットと対戦。序盤は打撃で優勢に立つも、2Rにスタミナ切れを起こし、V1アームロックで一本負け。 2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦のリザーブマッチで、かつてのチームメイトセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、パウンドでTKO勝ち。 2006年11月12日、オランダで開催された2 Hot 2 Handleでファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦し、肩固めで一本負け。 2007年4月14日、初参戦となったBodogFightでエリック・ペレと対戦し、1RKO勝ち。 2007年10月19日、カナダで行われたHCFでダン・ボビッシュと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。 2008年7月19日に行われたAffliction: Bannedにてポール・ブエンテロと対戦予定であったが、大会前の血液検査の結果により出場停止となった。兄ヒョードルは「血液検査の結果により出場停止となったことは確かだが、詳細は分からない」とインタビューで答えている〔「Affliction-2」に参戦したいですが、可能かどうかはまだ分かりません。 エメリヤーエンコ・ヒョードル公式サイト 2008年8月8日〕。関係者からはC型肝炎に感染している可能性が示唆された。 2009年、所属していたレッドデビルを離脱し、フリーランスとなった〔News archive: 2009 エメリヤーエンコ・アレキサンダー公式サイト 2009年3月3日〕。3月29日のProFCではかつての同門イブラヒム・マゴメドフと対戦し、カットによるTKO勝ちを収めた。マゴメドフとは2012年に再戦し、この試合もドクターストップで勝利を収めている。 2013年10月23日、モスクワのカフェで団体客とトラブルを起こし逮捕された。夕食を取っていた時に団体客と揉め、そのうちの1人を殴ったという。 2014年3月、家政婦の女性に性的暴力をふるいパスポートを奪ったとして逮捕される。翌年、加重性的暴行の罪で懲役4年6ヶ月の有罪判決を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エメリヤーエンコ・アレキサンダー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|