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エモシオンとは日本の元競走馬である。1999年京都記念優勝馬。 ※馬齢は当時の旧表記を用いる。 ==戦歴== 大川慶次郎「体や四肢のバランスは抜群。馬体の良さはアグネスワールドより上、クラシックを勝つ馬に成長する」〔1998年4月19日日刊スポーツ〕 小林稔「強いことは分かっているから、敢えて力試し(トライアルへの出走)をする必要もない」〔 関係者からこのように評価されたエモシオンは1992年優駿牝馬優勝馬アドラーブルの第2子として競走馬デビューを果たし、1998年の4歳牡馬クラシック戦線の有力馬として注目を浴びる。 皐月賞当時には重賞未勝利馬ながらセイウンスカイら3強に次ぐ支持を受けるも4着敗退、「激しいイレ込みがあったとはいえ正直期待外れでがっかり、見込み違いだったかも」〔1998年4月20日日刊スポーツ・大川慶次郎コメント〕と評されるなど3冠タイトル全て無冠に終わるが、「折り合いを欠きながらこの結果、これから強くなる馬」〔1998年11月9日週刊ケイバブック〕と今後の成長を期される面もみせた。 1999年明け5歳古馬となったエモシオンは日経新春杯2着を挟み京都記念に出走。前走の内容を評価され1番人気の支持を受け優勝、「クラシックは勝てなかったが、古馬になってからを期待していた馬なので、勝てて嬉しい」と関係者を喜ばせ、本年2月一杯での勇退が決定している小林稔調教師に最後の重賞勝利をプレゼントしている。 エモシオンはその後、木原一良厩舎へと転厩。大阪杯から天皇賞(春)への算段で調整がなされていたが転厩直後に右前浅屈腱炎を発症〔エモシオン右前浅屈腱炎判明 〕し戦線を離脱、木原厩舎管理馬として出走することはなく、僅か半年後の1999年9月に美浦の二ノ宮敬宇厩舎へと再転厩となる。結局2年弱の休養を経て戦線復帰となったが、「追ってからの反応が悪い」〔2001年函館記念・木幡騎手コメント/日刊スポーツ〕と騎手がコメントするなど勝ち馬から1秒以上離される精細を欠く内容が続き、未勝利のまま現役を引退した。 引退後は故郷白井牧場に戻り使役馬として繋養後、日高ケンタッキーファームへと移動していたが同施設の廃業に伴い再び白井牧場に戻っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エモシオン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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