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エモマリ・ラフモノフ : ミニ英和和英辞書
エモマリ・ラフモノフ[らふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough

エモマリ・ラフモノフ ( リダイレクト:エモマリ・ラフモン ) : ウィキペディア日本語版
エモマリ・ラフモン[らふ]

エモマリ・ラフモンラテン文字:''Emomalī Rahmon'')(ラテン文字:''Emomali Sharipovich Rakhmonov'')1952年10月5日 - )は、タジキスタン共和国政治家。同国大統領1994年11月16日 - )。タジキスタン人民民主党党首
エマムアリ・ラフモンとも表記される〔エマムアリ・ラフモン タジキスタン共和国 大統領略歴 (外務省)〕。
== 略歴 ==
1952年10月5日クリャーブ州ダンガル地区ダンガル市出身。(今日のハトロン州クリャーブ市)。1971年クルガン・テッパ市のバター工場の電気技師として働く。1971年から1974年まで、ソビエト連邦軍に勤務。除隊後の1975年バター工場に戻る。1976年から1988年、クリャーブ州ダンガル地区のコルホーズの管理部書記労働組合議長を務め、後にタジクスタン共産党で働いた。1982年タジク国立大学経済学部卒業。1988年6月から1992年までダンガル地区のソフホーズの議長。1992年12月、クリャーブ州人民代議員会議執行委員会議長に選出。1990年から1995年までタジキスタン共和国最高会議議員
タジキスタン内戦中に、クリャーブ地方の政治勢力を背景に台頭し、1993年11月19日、第12期タジキスタン共和国最高会議において、最高会議議長に選出。1994年11月6日、タジキスタン共和国大統領に選出され、同年11月16日に就任した。1997年6月27日内戦当事者であるタジク野党連合(UTO)のサイイド・アブドゥッラー・ヌーリーイスラム復興党指導者)と和平協定に調印し、タジキスタン内戦を終結させた。
1999年11月7日憲法修正に伴い、7年の任期で大統領に再選。
2003年6月22日憲法改正により、2020年までの大統領任期の延長を可能にした。
2006年11月6日の大統領選挙で3選を果たした〔BBC NEWS | Asia-Pacific | Tajik president wins third term 〕。
2007年4月14日、自らのからロシア語風の接尾辞を取り、エモマリ・ラフモノフ〔エママリ・ラフマノフ、エマーマリー・ラフマーノフとも表記される。〕から、タジク語風のエモマリ・ラフモン改名した〔BBC NEWS | Asia-Pacific | Tajiks 'must drop Russian names' 〕〔 | | 〕。
政権初期には、大臣ポストをUTOに割り当てるなど、反対派勢力に一定の配慮を行っていたが、徐々に権威主義的な傾向を強めているとされる。反対派は、同大統領が独立系メディアに圧力を加え、反対派リーダーを投獄したと批判している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エモマリ・ラフモン」の詳細全文を読む




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