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エリザベス・バートリー : ミニ英和和英辞書
エリザベス・バートリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エリザベス・バートリー ( リダイレクト:バートリ・エルジェーベト ) : ウィキペディア日本語版
バートリ・エルジェーベト[ちょうおん]

バートリ・エルジェーベトエリザベート・バートリマジャル語:Ecsedi Báthory Erzsébet、ドイツ語:Elisabeth Báthory von Ecsed、スロバキア語:Alžbeta Bátoriová-Nádašdy 、1560年8月7日-1614年8月21日)は、ハンガリー王国貴族。史上名高い連続殺人者とされ、吸血鬼伝説のモデルともなった。「血の伯爵夫人」という異名を持つ。
ちなみにハンガリー人の姓名の順は日本と同じであり、マジャル語では旧姓のバートリが先にくる。当時ハンガリーはドイツ人の支配下にあったため、日本でもドイツ読みのエリーザベト・バートリと表記されることが多い。
== 家系 ==

バートリ家は16~17世紀当時トランシルヴァニア公国の中で最も有力な家門だった。エルジェーベトはエチェディ=バートリ・ジェルジ (Ecsedi Báthory György) とショムヨーイ=バートリ・アンナ (Somlyói Báthory Anna) の間に生まれる。ポーランド王位に就いてバートリ家の権勢を最大限に高めたバートリ・イシュトヴァーン9世(ポーランド王としてはステファン・バートリ)の姪に当たり、当時のトランシルヴァニア公やハンガリー王国宰相も従兄弟である。
有力者を輩出する一方、エルジェーベトの近親者には悪魔崇拝者(叔父)、色情狂(兄弟)等と噂された者もいる。エルジェーベト本人も幼いときから感情の起伏が激しく、エキセントリックな性格を有していたという。これは一族が財産及び権力を保つ為に血族結婚を繰り返してきた影響だとも言われる。
1575年、エルジェーベトは5歳年上のハンガリー貴族ナーダシュディ・フェレンツ2世と結婚した。フェレンツの父親はフェルディナント1世の治世でハンガリー副王を務めたナーダシュディ・タマーシュだが、エルジェーベトの方が高い身分にあったため、結婚後もバートリ姓を名乗った。フェレンツはにおけるハンガリー軍の指揮官の1人であり、英雄として知られていたが、同時にその残虐さでも有名だった。
この結婚により6人の子供(3男3女:アンドラーシュ (András)、パール (Pál)、アンナ (Anna)、カタリン (Katalin)、ミクローシュ (Miklós)、オルショリャ (Orsolya)〔Nadasdy2 チェコ語〕〔Erzsébet, countess Báthory  英語〕が生まれた。長女のアンナは、伯爵の妻となる。次女のカタリンは、ホモンナイ=の妻となる。
エルジェーベトはラテン語・ギリシア語などの読み書きもできる教養豊かな女性で、戦争で留守がちな夫に代わって城と数百ホルドの領地を含む荘園を管理し(1hold=1,600ネージセゲル=約0.57 ha)、諸外国に遊学する学生らの援助をした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バートリ・エルジェーベト」の詳細全文を読む




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